コロンビア最高裁占拠事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 02:56 UTC 版)
「4月19日運動」の記事における「コロンビア最高裁占拠事件」の解説
1985年11月6日、ボゴタの最高裁判所兼法務省ビルを占拠し判事や弁護士、国会議員、市民ら300人以上を人質に取りベタンクール大統領に「和平のための直接交渉」を要求した(コロンビア最高裁占拠事件)。しかし、政府は交渉を拒否し、EE-9 カスカベルやヘリコプターを使い軍・警察部隊を突入させM-19コマンド35人全員を殺害、最高裁長官と市民60人を含む人質115人も死亡した。この事件はメデジン・カルテルのパブロ・エスコバルが自身の米国への身柄引き渡しを阻止するため、最高裁長官の殺害と関連書類の焼却を230万ドルでM-19のカルロス・ピサロに依頼したとされる。また、軍はM-19活動家に対する人権侵害を審理していた最高裁を煙たい存在とみなしており、事件に乗じて関係者の殺害や証拠書類の処分を図ったとされる。この事件では2010年6月9日にコロンビア司法当局は当時の陸軍大佐ルイス・アルフォンソ・プラサス・ベガの責任を認め禁固30年を宣告している。
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