1985年の噴火とは? わかりやすく解説

1985年の噴火

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 04:53 UTC 版)

ネバドデルルイス火山」の記事における「1985年の噴火」の解説

過去1595年1845年大噴火し、ラハールによりそれぞれ636人、約1000人の死者出していたが、1985年当時トリマ県アルメロの街は、1845年ラハールによる堆積物の上にあった1984年11月ネバドデルルイスは約140年ぶりに噴火活動開始。翌1985年9月11日水蒸気爆発によりラハール発生して西側斜面を27km流下した。西側にはマニサレスという人口35万人都市があったが、水系異なることもあり被害は受けなかった。10月7日コロンビア国立地質鉱山研究所アメリカ火山学者指導の下にハザードマップ作成公表し地方自治体や関係諸機関配布したが、噴火一時沈静化していたことなどからほとんど評価されなかった。アメリカ地質調査所USGS)は新たに火山性地震専門家現地派遣しようとしていたが、コロンビア最高裁占拠事件影響中止された。 そして11月13日15時過ぎ、本格的な噴火起き21時頃に最高潮達した噴火自体は「やや大規模火山爆発指数3)」という程度のものだったが、この際発生した火砕流によりや氷が溶け東側斜面大量ラハール発生した流下するラハール最大幅50mに及び、発生から2時間半で100km以上の距離を流下して麓のアルメロ直撃した。その被害甚大で、人口28,700人の約4分の3にあたる21,000人が死亡した。これを含め噴火による被害死者23,000人、負傷者5,000人、家屋損壊5,000棟となり、20世紀における火山噴火2番目の被害者出した(第1位はプレー山噴火1902年、約30000人))。 生還果たした人たちによると、再度噴火可能性等の警告が行われたが、以前から偽情報多く流れていたため、あまり聞き入れられなかった。さらに、市民パニック恐れた市長被災により死亡)がラジオで「噴火はない」と終始放送続けその日祭りのために近隣の住民駆けつけたことも被害大きくした。このことから、2008年2月12日UNESCO国際惑星地球年一環として、「正確な知識の不足と情報伝達の不備による世界最悪人災による悲劇」のワースト5の一つとしてこの噴火災害認定している。 被災した市街は、1990年代中頃になっても6m以上の火山灰瓦礫埋もれたままで、簡素な野生動物除けフェンス囲まれ小さな木が育ち始めていた。地元住民建築資材として付近石材採取するたびに犠牲者遺骨が見つかり、この地に点在する霊廟へと納められた。 現在、アルメロの街は被災地の北約8kmに移転しており、旧市街地再建されることなく墓地として保全され今でも多く遺体眠っている。 この災害の復旧には、その年のコロンビアGNPの約20%にあたる77ドル費やされた。

※この「1985年の噴火」の解説は、「ネバドデルルイス火山」の解説の一部です。
「1985年の噴火」を含む「ネバドデルルイス火山」の記事については、「ネバドデルルイス火山」の概要を参照ください。

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