コレラ菌自飲実験とその晩年とは? わかりやすく解説

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コレラ菌自飲実験とその晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 10:24 UTC 版)

マックス・フォン・ペッテンコーファー」の記事における「コレラ菌自飲実験とその晩年」の解説

スノー上水道論者との論争敗れたペッテンコーファーは、同1892年10月に、もう一つ論争決着をつけるべく行動起こした。すでに、その後細菌学発展に伴いさまざまな病原細菌発見されることで、コッホとの論争でも次第劣勢になっていたペッテンコーファーは、自らコレラ菌飲んで発症しないという証拠を示すことで、コッホの提唱したコレラ菌病因論否定して自説正しさ実証しよう試みたコレラ菌自飲実験は、「近代実験医学の父」とも呼ばれたペッテンコーファーらしい、綿密な実験計画基づいて行われたものであった実験の公正を期すために、コレラ菌は予めコッホ培養し送付したものが用いられ発症十分だ考えられていたよりも遥かに多く10億個以上(軍の一個支隊壊滅させることができると言われる)の生きた存在していることを確認した上で用いられた。さらに実験先立って重曹液を服用して胃酸中和し胃の殺菌作用による影響除外するという点まで配慮された。実験10月7日ら行われ、翌日にはペッテンコーファーには何の異常も現れなかった。10月9日午後から下痢症状現れ13日まで水様の便が続いた後、15日になって正常に戻った。しばしば誤解されることであるが、コレラとはあくまで激し下痢だけではなく脱水症状を伴う疾患であり、ペッテンコーファーコレラ菌によって激し下痢起こしたもののコレラ発症しなかったのである。さらに実験間中糞便細菌学的な検査回され、その中からコレラ菌分離されることも確認された。この結果は、コッホ提唱したコレラ菌病原説の欠陥指摘するものとなり、ペッテンコーファーコッホのいうコレラ菌とは、コレラとは無関係な、あるいはせいぜいコレラに伴う下痢原因にはなるものの脱水症状には無関係なものであるとして、自説への確信を一層強めた。 しかし同時代他の研究者によって自飲実験追試されると、事態当初ペッテンコーファーコッホらが考えていたものよりも複雑であることが判明した例えば、ペッテンコーファー弟子であり、同様に自飲実験志願して行ったルドルフ・エメリッヒは、コレラによる脱水症状危篤状態に陥り、その後一命だけは取り留めたまた、20世紀初頭にイリヤ・メチニコフが行った自飲実験ではペッテンコーファー同様、下痢のみでコレラ発症しなかった。このように同様の実験においてもその結果まちまちであり、コレラ病因論対立する二説の間で明確な結論出ないまま、再び紛糾することとなった。 自飲実験終わった後もしばらくは、依然ヨーロッパ医化学界の権威として活動したペッテンコーファーであったが、まもなく高齢ゆえに表舞台に姿を現さなくなった。そしてうつ病を発症し、1901年2月10日ミュンヘン自宅ピストル自殺遂げた遺体ミュンヘン墓地埋葬された。

※この「コレラ菌自飲実験とその晩年」の解説は、「マックス・フォン・ペッテンコーファー」の解説の一部です。
「コレラ菌自飲実験とその晩年」を含む「マックス・フォン・ペッテンコーファー」の記事については、「マックス・フォン・ペッテンコーファー」の概要を参照ください。

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