コリアの一族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 04:24 UTC 版)
「ジョン・コリア (画家)」の記事における「コリアの一族」の解説
コリアは、成功した一族の出身だった。祖父ジョンは庶民院議員も務めたことのあるクェーカー教徒の商人である。父ロバート(英語版)も庶民院議員、司法長官を長く務め、枢密院司法委員会の永世会員、初代モンクスウェル男爵で、さらにロイヤル・ソサエティー・オブ・ブリティッシュ・アーティスツ(英語版)のメンバーでもあった。兄の第2代モンクスウェル男爵ロバート(英語版)は、内閣次官補、ロンドン・カウンティ・カウンシル(英語版)の長 (en) を務めた。 さらにコリアの妻マリアンおよびエセルは、後期ヴィクトリア朝を代表する科学者で王立協会会長も務めたトマス・ハクスリーの娘で、義理の弟にあたる文筆家レナード・ハクスリーとも「懇意なる親交」を持っていた(Dictionary of National Biography s.v. L. Huxley)。 1879年に結婚した最初の妻マリアンは、コリアと同じくスレイド美術学校出身の画家で、ロイヤル・アカデミー他に出展したこともあった。しかしマリアンは、2人のただ1人の子供となる娘を出産後、産後鬱病を患い、治療のために行ったパリで肺炎のために亡くなった。1887年のことだった。 1889年、コリアはマリアンの妹エセルと再婚した。亡妻の姉妹との結婚は、1907年に法律が制定されるまでイギリスでは許されていなかったので、結婚式はノルウェーで挙げた。マリアンとの間に生まれた娘ジョイスは、肖像細密画家になり、王立王立細密画協会の会員にもなった。エセルとの間には1男1女あり、息子ローレンスは1941年から1951年までノルウェー大使を務めた。
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