ゲーム情報誌としてとは? わかりやすく解説

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ゲーム情報誌として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 05:59 UTC 版)

マイコンBASICマガジン」の記事における「ゲーム情報誌として」の解説

1983年11月号から、アーケードゲーム等の情報を扱う「スーパーソフトマガジン」という別冊付録が付くようになるナムコ開発室から提供されゼビウスに関する様々な設定情報などは、現在でも貴重な資料としての価値をもつ。パソコンゲーム攻略法載っていた時期もあり、山下章手塚一郎などが執筆していた。巻末には全国ゲームセンター100店舗に及ぶ協力店から寄せられた「ハイスコアランキング」(当時通信機搭載ゲーム機無かった)が掲載され腕自慢にわざわざ協力店に出向いてハイスコア叩き出すゲーマーもいた程である。 当時としては他に類を見ない濃い内容のコンピュータビデオゲーム情報誌側面持っており、本誌よりむしろ別冊付録目的として買う読者出現した。しかし付録だけを万引きされる問題発生したため、1985年1月号より「スーパーソフトコーナー」として巻末一体化することになる。なお、アダルトゲームに関する情報一切掲載しないのも特徴一つである(例外として、販売店の広告内では当たり障りのない範囲タイトル名画面写真パッケージ写真掲載されることはあった)。 その後もパソコン・コンシューマー・アーケードを問わずコンピューターゲーム関連記事幅広く掲載されパソコン雑誌ありながら総合的なゲーム情報誌としての一面がより色濃くなった。ゲーム関連記事ページ数がプログラミングなど技術系記事上回った時期や、表紙写真パソコンではなくゲーム機アーケードゲーム基板だった号もあった。 広告掲載関連記事掲載、また電波新聞社(後のマイコンソフト)が発売しているアーケードゲームからの移植パソコン向けゲームソフトウェア開発といった事情にも絡みナムコやセガ・タイトーといった大手のアーケードゲームメーカーとの間に築かれた関係も深く精力的にメーカー内の開発者交えて内部開発資料から起こした高品質ゲーム紹介記事掲載するなどしていた。しかし、次第ゲームメーカー群雄割拠から、全てのゲームメーカー網羅しきれなくなり1980年代末から1990年代初頭には、他社ゲーム専門誌読者奪われる結果となった1989年5月号から1990年3月号まで、「レッツプレイ!コンピュータ・ミュージック」としてDTM特化した別冊付録添付され1990年4月にはComputer Music Magazineとして独立している。その後1999年6月号から再度別冊付録となった後、同誌は同年10月休刊した。

※この「ゲーム情報誌として」の解説は、「マイコンBASICマガジン」の解説の一部です。
「ゲーム情報誌として」を含む「マイコンBASICマガジン」の記事については、「マイコンBASICマガジン」の概要を参照ください。

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