グラハム・アーノルドとは? わかりやすく解説

グラハム・アーノルド

(グレアム・アーノルド から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/11 00:38 UTC 版)

グラハム・アーノルド
CCマリナーズFC監督時代(2012年)
名前
ラテン文字 Graham ARNOLD
基本情報
国籍 オーストラリア
生年月日 (1963-08-03) 1963年8月3日(61歳)[1]
出身地 シドニー
身長 179cm
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1981 カンタベリー・マリックビル英語版
1982-1990 シドニー・クロアチア英語版 178 (88)
1990-1992 ローダ 61 (22)
1992-1994 RFCリエージュ英語版 60 (23)
1994-1995 シャルルロワ 16 (1)
1995-1997 NAC 63 (35)
1997-1998 サンフレッチェ広島 28 (7)
1998-2001 ノーザン・スピリット英語版 47 (5)
通算 453 (161)
代表歴
1985-1997 オーストラリア 56 (19)
監督歴
1989-1990 シドニー・ユナイテッド英語版
1998-2000 ノーザン・スピリット英語版
2006-2007 オーストラリア代表
2007-2008  オーストラリア U-23
2010-2013 セントラルコースト・マリナーズFC
2014 ベガルタ仙台
2014-2018 シドニーFC
2018-2021  オーストラリア U-23
2018-2024 オーストラリア代表
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

グラハム・ジェームズ・アーノルド: Graham James Arnold1963年8月3日 - )は、オーストラリアシドニー出身[2] の元サッカー選手FW)、サッカー指導者。オーストラリアサッカー協会殿堂。イギリス英語発音では「グイ(ァ)ム・ジェイムズ・アーノルトゥ([ˈɡreɪəm dʒeɪmz ˈɑːnəld])」、アメリカ英語発音では「グム・ジェイムズ・アーナル(トゥ)([græm dʒeɪmz ˈɑrnəld])」。またはグレアムとも。本表題の名前は、検証可能性の観点からJリーグ登録時の名前[1] を用いている。

選手経歴

オーストラリア代表FW。国際Aマッチ56試合19得点、非公式試合やBマッチなどを含めると85試合33得点の成績を残し、オーストラリアサッカー史上において著名なストライカーの一人[2]

1980年、ニューサウスウェールズ・プレミアリーグのカンタベリー・マリックビルでキャリアをスタート。1982年よりオーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ(NSL)のシドニー・クロアチア(現:シドニー・ユナイテッドFC英語版)へ移籍し、1986年にNSL得点王、リーグ最優秀選手賞を受賞。

1990年から1992年および1995年から1997年はオランダのエールディヴィジ、1992年から1995年はベルギーのジュピラーリーグでプレー。エールディヴィジでは5年余りで58得点を決めている。

1985年にオーストラリア代表として初出場。最後の試合は1997年に行われた1998 FIFAワールドカップ・予選AFC-OFCプレーオフイラン代表戦の2戦目だった。この試合でオーストラリアは2点をリードしながら同点に追いつかれたため、W杯出場権獲得は成らなかった(メルボルンの悲劇)。

1997年からオーストラリア代表元監督のエディ・トムソンが監督を務めていたJリーグサンフレッチェ広島F.Cに入団。選手として入団したが、若手の久保竜彦にFWとしての経験を伝える教育係でもあった[3]。1998年6月に契約満了する[4]

退団後はNSL・ノーザン・スピリットFC英語版でプレーイングマネージャー[5] としてプレーし、2001年に引退[1]

指導者経歴

2000年、オーストラリア代表のアシスタントコーチに就任し、監督はフランク・ファリーナヒディンクと代わったが、アーノルドは常にアシスタントコーチとして代表に付き添った[2][5]

2006年7月、オーストラリア代表の監督に就任。アジアカップ2007はグループリーグAを2位の成績で決勝トーナメントへ進出。なお、決勝トーナメントは1回戦で日本代表にPK戦で敗退。

その後、U-23代表監督に就任し、北京オリンピック出場に導いた[5]

2010 FIFAワールドカップ終了後、ローリー・マッキーナ英語版の後を受け2010年7月にセントラルコースト・マリナーズFC監督に就任[2][5]。2011/12レギュラーシーズン、チームを優勝に導きリーグ最優秀監督賞を受賞。2012/13シーズンはグランドファイナルに進出し優勝を飾った[1][2]

2014年、Jリーグ・ベガルタ仙台の監督に就任[1]。オーストラリア国外のクラブチームを指揮するのはこれが初めてとなったが、リーグ戦6試合で2分け4敗、ナビスコカップを含めた公式戦8試合で3分け5敗と苦戦。結局1勝も挙げられないまま、4月9日に退任。クラブ側との協議の末、「解任」ではなく「双方合意の上での退任」という形が取られたため違約金は発生しなかった[6]

2014年5月、オーストラリアに戻りシドニーFC監督に就任[7]

2018年3月8日、W杯ロシア大会終了後にオーストラリア代表監督に就任することが同国サッカー連盟から発表された[8]。11年ぶりの代表監督復帰となる。

この間、2021年までU-23オーストラリア代表も兼任して東京オリンピックに3大会ぶり出場に導き、W杯カタール大会にも連続で出場させた。

2024年9月5日から始まった2026 FIFAワールドカップ・アジア3次予選では1勝もできず、同年9月20日オーストラリア代表監督を退任した[9]

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯 FFA杯 期間通算
1980 カンタベリー・
マリックビル
1981
1982 シドニー・
クロアチア
NSL
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1989-90
オランダ リーグ戦 リーグ杯 KNVBカップ 期間通算
1990-91 ローダ エールディヴィジ
1991-92
ベルギー リーグ戦 リーグ杯 ベルギー杯 期間通算
1992-93 RFCリエージュ ジュピラーリーグ
1993-94
1993-94 シャルルロワ
オランダ リーグ戦 リーグ杯 KNVBカップ 期間通算
1994-95 ローダ エールディヴィジ
1995-96
1996-97
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1997 広島 9 J 18 6 5 4 0 0 23 10
1998 10 1 0 0 - 10 1
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯 FFA杯 期間通算
1998-99 ノーザン・
スピリット
NSL
1999-00
2000-01
通算 豪州 NSL
オランダ エールディヴィジ
ベルギー ジュピラーリーグ
日本 J 28 7 5 4 0 0 33 11
総通算

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 56試合 19得点(1985年-1997年)[10]


オーストラリア代表 国際Aマッチ
出場 得点
1985 2 1
1986 6 4
1987 6 3
1988 18 4
1989 4 2
1990 0 0
1991 2 0
1992 0 0
1993 6 1
1994 0 0
1995 2 1
1996 3 0
1997 7 3
通算 56 19

監督成績

2024年9月20日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
オーストラリア代表 2006年7月6日 2007年12月6日 15 6 4 5 040.00
セントラルコースト 2010年2月10日 2013年11月14日 114 55 30 29 048.25
ベガルタ仙台 2014年2月1日 2014年4月9日 8 0 3 5 000.00
シドニー 2014年5月8日 2018年7月14日 142 81 34 27 057.04
U-23オーストラリア代表 2018年7月14日 2021年7月28日 9 5 3 1 055.56
オーストラリア代表 2018年7月14日 2024年9月20日 57 37 7 13 064.91
合計 345 184 81 80 053.33

タイトル

選手時代

個人

監督

セントラルコースト・マリナーズFC
  • Aリーグレギュラーシーズン:1回(2011-12)
  • Aリーグファイナルシリーズ:1回(2013)
シドニーFC
  • Aリーグレギュラーシーズン:2回(2016-17、2017-18)
  • Aリーグファイナルシリーズ:1回(2017)
  • FFAカップ:1回(2017)
個人
  • Aリーグ最優秀監督:3回(2011-12、2016-17、2017-18)
  • Aリーグオールスターチーム監督部門:1回(2011-12)
  • PFAフットボール選手オブザイヤー賞:3回(2011-12、2016-17、2017-18)

脚注

  1. ^ a b c d e 2014シーズン新監督にグラハム・アーノルド氏 就任のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2013年11月14日http://www.jsgoal.jp/official/00164000/00164349.html2013年12月29日閲覧 
  2. ^ a b c d e Graham Arnold”. オーストラリアサッカー連盟. 2012年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月9日閲覧。
  3. ^ 中野和也『サンフレッチェ情熱史』ソル・メディア、2013年12月、113頁。ISBN 4905349141 
  4. ^ 松永の同点弾フイ”. 中国新聞 (1998年4月11日). 2007年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月9日閲覧。
  5. ^ a b c d Graham Arnold deserves to be given a chance”. The Roar (2010年2月19日). 2013年5月25日閲覧。
  6. ^ グラハム・アーノルド監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト、2014年4月9日http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2014/04/post-1476.html2014年4月9日閲覧 
  7. ^ シドニーFC新監督に仙台前監督のグラハム・アーノルド氏が就任”. ゲキサカ (2014年5月8日). 2014年5月9日閲覧。
  8. ^ 元仙台のアーノルド氏、豪州代表の監督就任が決定。ロシアW杯後からの指揮に”. フットボールチャンネル (2018年3月8日). 2018年3月8日閲覧。
  9. ^ 10月に日本代表戦を控えるオーストラリア代表、アーノルド監督が電撃辞任…最終予選で2戦未勝利”. サッカーキング (2024年9月20日). 2024年10月10日閲覧。
  10. ^ グラハム・アーノルド - National-Football-Teams.com

関連項目

外部リンク





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