クリニカ・モバイルの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/15 01:46 UTC 版)
「クリニカ・モバイル」の記事における「クリニカ・モバイルの誕生」の解説
1976年、ケッコ・コスタ医師(クリニカ・モバイルの現責任者であるクラウディオ・コスタ医師の実父)はヘルメットメーカーのAGV社の創業者 Gino Amisano の経済的支援により、医療設備を備えた最初の車両(初代クリニカ・モバイル)を完成させた。この車両をレース期間中のサーキットに常駐させ、ライダーが負傷した場合に応急処置を施すことになる。 翌1977年5月1日、クリニカ・モバイルはザルツブルクリンクで開催されたロードレース世界選手権第2戦オーストリアGPで初出動を果たす。350ccクラスのレースでは5人のライダー(パトリック・フェルナンデス、フランコ・ウンチーニ、ハンス・シュタデルマン、ディーター・ブラウン、ジョニー・チェコット)が高速コーナーで同時に転倒、全員が深刻な重傷を負い、クリニカ・モバイルは初戦にして大きな試練を経験することになった。 クリニカ・モバイルの医師たちは犬に襲われながらも現場に駆けつけ、すでに呼吸が止まっていたウンチーニの蘇生に成功する。しかし不幸にも、一番重篤だったシュタデルマンは応急処置の甲斐なく命を落としてしまう。またブラウンは目に深刻なダメージを負い、レーサーとしてのキャリアを終えることになった。 応急処置を遅らせる原因になった警備体制についてオーガナイザー側がライダーたちの猛抗議を受けた一方、クリニカ・モバイルはグランプリレースシーンにおいてかけがえのない存在となり、その後もグランプリ等のバイクレースに帯同し多くのライダーの命を救っていった。
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