クイズダービー出演
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『クイズダービー』の1976年8月7日放送分にゲスト解答者の一人として出演し、翌年1月22日放送分から黒鉄ヒロシに替わり3枠にレギュラーを務め、番組が終了するまで約15年間活躍した。番組出演記録は竹下景子に次いで第2位の記録である。クイズ番組以外でトークを求められることが多く、これが原因でうつ病を発症し、公演中に倒れてうつ病の診断ののちは仕事を2割ほど減らした。2000年と2004年の復活版放送は出演している。はら没後はやくみつるが代役で出演した。 正答率約75パーセントととても高く、はらのオッズは原則として2 - 3倍程度、時には1倍と低く設定されていた。風刺漫画家という職業柄、はらは多数の新聞や雑誌を購読していたが、番組では「はらは正解で当然」という期待があったため、番組用にも特別にスクラップブックを作っていた。収録前のはらは緊張のためいつも口数が少なかった。はらに高いポイントが掛けられることが多く「はらに3000点」という言葉が「相手の予想に同意する」ことの代名詞となった。最後の問題では「はらに全部」と言う出演者が非常に多く見受けられた。最多連勝(連続正解)は27連勝(2度達成)で、同番組では歴代1位の連勝記録だった(連勝記録の歴代2位はゲスト解答者として出演した黒沢久雄の24連勝。竹下は16連勝で歴代3位)。 他の解答者全員が正解で、はら1人だけ不正解だった事例もある。一例として、2000年の復活特番で出題された都営地下鉄大江戸線全線開業時の唄うポスターの原曲(聖者の行進)を当てる問題では、はら以外の解答者が「ユー・アー・マイ・サンシャイン」と答えて全員正解だった(篠沢秀夫は落合南長崎駅近くに在住していたが、「そんなポスター見たことはない」と言いながらも正解している)。
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