キラーB'sの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 23:54 UTC 版)
「ヒューストン・アストロズ」の記事における「キラーB'sの登場」の解説
1990年には前年まで日本プロ野球の読売ジャイアンツに所属していたビル・ガリクソンが加入した 1991年にはジェフ・バグウェルがメジャーデビュー。前年デビューのビジオはデビュー当初は捕手だったが、その後は二塁手に転向し、MLBを代表する名二塁手へと成長する。バグウェルはデビュー前にボストン・レッドソックスから獲得し、その独特の「ガニ股打法」で知られた。デビュー1年目には打率.294・本塁打15本・打点82という好成績でナ・リーグ新人王を受賞した。 1994年から1995年のMLBストライキによってシーズンが中断した1994年にはナショナルリーグ中地区に移動。監督にテリー・コリンズが就任し、チームカラーも長年親しまれてきたレインボーカラーから紺と金を基調としたカラーに変更された。この年にはバグウェルが打率.368・39本塁打・116打点という驚異的な成績を残し、ナ・リーグMVPを獲得。ビジオも39盗塁を記録し、盗塁王を獲得した。また、シーズンでは首位レッズに0.5ゲーム差の地区2位でシーズンを終えた。 1995年は地区2位だった。 1996年は2年連続で地区2位だった。しかし、監督のコリンズは口数が多く、ビジオらスター選手とはそりが合わず解任された。 1997年には、新監督としてラリー・ダーカーが就任したが、MLBでは異例である18年間もテレビ解説者を務めた後の就任で采配や手腕を疑問視された。しかし、84勝78敗ながら久々の地区優勝を果たした。この頃にはビジオ、バグウェル、デレク・ベルの3人がチームの中軸として活躍し、キラーB's(キラービーズ、殺人蜂の意味でアフリカナイズドミツバチの俗称。3人の名字の頭文字が「B」で始まることから名づけられた)と呼ばれ、他球団から恐れられた。 1998年はトレード期限の7月31日にはランディ・ジョンソンを獲得した。最終的に球団記録となる102勝60敗で地区優勝を果たした。 1999年も97勝65敗をあげ、地区3連覇を果たした。しかし、いずれもNLDSで敗退し、リーグ優勝は果たせなかった。
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