ガウェイン少年を語る他の作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/30 14:42 UTC 版)
「アーサーの甥、ガウェインの成長記」の記事における「ガウェイン少年を語る他の作品」の解説
ガウェイン卿の少年時代の記述は、以下に挙げる幾つかの作品にも残されてはいるものの、ラテン語『ガウェインの成長』のみが完成された説話である 。『ゴーヴァンの幼年時代』(Enfances Gawain)は、わずか712行の断片しか現存しない。そこではアーサーの姉モルカード(仏:Morcades) と、その従者ロトとの間に生まれた子供が、ゴーヴァン・ル・ブラン (仏:Gauvain le brun。「褐色のゴーヴァン」)という騎士に託せられる。幼児は、洗礼を受け、その騎士の名をとってゴーヴァン(ガウェイン)と名づけられるが、その後は捨てさらしにして死なせてしまう手筈であった。騎士は確実に殺すに忍びず、子を樽につめて流してしまう。そして子は運よく漁夫に拾い上げられ、ローマに連れられ法王の教育を受ける。この作品でも、幼児の身元を立証する指輪やバックルが託されている。 フランス語物語『ペルレスヴォー』(フランス語版)は、同様の小話を挿入している。ゴーヴァン(ガウェイン)は、ある廃墟と化した城にやってくるが、その礼拝堂で目にした絵画が自分の出生についてを物語るものだと知らされる。ガウェイン卿が赤ん坊の時、洗礼を受けたのがまさしくこの礼拝堂であった。そして、この城主の名を譲られてガウェインと命名されていたのである。ガウェインのご母堂は、ひそかに産んだ赤ん坊の存在を知られてはならなかったので、嬰児を処分するように城主にことづけた。しかし城主はそれをするに忍びず、その子の身分を証した書状を赤ん坊の身辺に隠し、遠国に行って、しかるべき里親に預けた。その里親がやがてその子をローマ教皇にお見せした。書状から、その子がさる王族につながる身分だと知った教皇は、その子を自分の身内として育てていった。やがてゴーヴァンは、あわや皇帝にまで登極する勢いだったが、まわりが一斉に反対。本当の身の上を知ったゴーヴァンは即位を拒んだのだった。
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