ガイウス・ウィビウス・ウォルシアヌス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 04:01 UTC 版)
| ウォルシアヌス Volusianus | |
|---|---|
| ローマ皇帝 (共同皇帝) | |
|   
        ウォルシアヌス
        | |
| 在位 | 251年 - 253年8月 | 
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| 全名 | ガイウス・ウィビウス・ウォルシアヌス Gaius Vibius Volusianus Augustus | 
| 出生 | ? | 
| 死去 | 253年8月 インテラムナ(現イタリア、テルニ) | 
| 簒奪 | アエミリアヌス | 
| 配偶者 | デキウス帝の娘 | 
| 父親 | トレボニアヌス・ガッルス | 
| 母親 | アフィニア・ゲミナ・バエビアナ | 
ガイウス・ウィビウス・ウォルシアヌス(ラテン語:Gaius Vibius Volusianus、? - 253年8月)は、軍人皇帝時代のローマ皇帝(在位:251年 - 253年)であり、父ガイウス・ウィビウス・トレボニアヌス・ガッルスの共同皇帝の地位にあった人物である。
生涯
トレボニアヌス・ガッルスを父、アフィニア・ゲミナ・バエビアナ(en)を母として生まれた。姉妹にウィビア・ガッラがいたことが知られる。また、彼の妻は先帝デキウスの娘である。
251年6月頃にローマ皇帝デキウスおよび共同皇帝ヘレンニウス・エトルスクスがゴート族とのアブリットゥスの戦いで戦死すると、トレボニアヌス・ガッルスは後継のローマ皇帝に就くことを宣言し、息子ウォルシアヌスを共同皇帝とした。ウォルシアヌスは同時にプリンケプス・ユウェントゥティス(Princeps Juventutis)の称号を得た。なお、デキウスの息子ホスティリアヌスがローマで皇帝として就いていたものの、251年中に病によりこの世を去り、トレボニアヌス・ガッルスは単独でのローマ皇帝の座を手に入れた。
しかし、当時モエシア属州総督であったマルクス・アエミリウス・アエミリアヌスが軍の支持を得てローマ皇帝を称し、レボニアヌス・ガッルスへ反旗を翻して、ローマへと進軍を始めた。トレボニアヌス・ガッルスは軍を率いて迎撃へ向かったが、253年8月、自軍内の将校によってウォルシアヌスは父と共に殺害された。
固有名詞の分類
| ローマ皇帝 | アントニヌス・ピウス マクリヌス ガイウス・ウィビウス・ウォルシアヌス ガレリウス マクシミヌス・トラクス | 
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