カナートとカーリーズの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 07:31 UTC 版)
「古代ペルシアにおける伝統的な水源」の記事における「カナートとカーリーズの歴史」の解説
カナートの起源を初めて研究したのはヘンリー・ゴブロで、その著書『カナート―水を得る技術』において、古代のペルシア人は、坑夫たちにとっては邪魔となっていた水を利用して、カナートまたはカーリーズという名の基本システムを設立し、農地に必要な水を供給していたことを述べている。ゴブロによると、この技術革新が現在のイランの北西部、トルコとの国境を接する地域で行われ、後に隣接するザグロス山脈に導入されていったという。 ペルシアのカナートの歴史は、何世紀、時には何千年も前にさかのぼるもので、イラン中央部の都市ザールチには、最古で最長のカナート(3,000年以上前、全長71 km)があり、他の3,000年前のカナートがイラン北部で発見されている 。カナートはほとんどが標高の高い場所からきて、都市に達すると カーリーズとよばれる小さな地下運河の分散したネットワークに分割されていった。 カナートと同様に、これらの小さな運河は地下(~20段)にあり、汚染が非常に少なくなるように建設された。 数千年前に建設されたこれらの地下水路は 、蒸発による損失がなく、汚染のおそれがないため、飲料水に適していた 。 しかしその後、ペルシアの土地では都市がさらに成長し、カナートでは住民のニーズに応えることができなくなる。 この時期には、裕福な住民がアーブ・アンバール(ペルシア語آبانبار)とよばれる私有の貯水池を建設し始めていた 。 20世紀半ばには、およそ50,000 のカナートがイランで使用されていたと推定され、それぞれ地域の人々によって維持管理がなされてきた。これらのうち、1980年の時点では、25,000のカナートが引き続き使用されている。
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