カトリック系名門女子寄宿学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 03:56 UTC 版)
「スコラスティック・ムカソンガ」の記事における「カトリック系名門女子寄宿学校」の解説
ノートル=ダム・ド・シトーはシトー会が運営する寄宿制の女子校で、キガリの有力者の娘たちを「良き妻、良き母、良き市民、善きカトリック教徒」に育てるための学校であり、卒業後には政略結婚が待っていた。なお、1959年にルワンダに生まれ、ベルギーで活躍している3歳下の作家マリー・ビアトリス・ウムテシ(フランス語版)も同校の出身であり、フツ系のウムテシは、1994年にツチ系のルワンダ愛国戦線を中心とする政権が成立したときに難民となって旧ザイールに避難し、4年にわたって難民キャンプで過ごし、この経験を『逃げるか、ザイールで死ぬか(Fuir ou mourir au Zaïre)』として2000年に発表している。 当時は上述のクオータ制によって生徒数に占めるツチ族の割合が10%に制限されていた。ノートル=ダム・ド・シトーのような学校もルワンダ階級社会の縮図であり、フツの生徒とツチの生徒の間に対立があったため、ムカソンガは他のツチの生徒と一緒に夜、宿舎の消灯後にトイレに隠れて勉強し、すでに恐怖心・警戒心からほとんど眠らないのが習性になっていた。
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