カコフォニー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 08:57 UTC 版)
「ジェイソン・ベッカー」の記事における「カコフォニー時代」の解説
5歳の頃からギターに親しみ、クラシック・ギタリストの父やブルース・ギタリストの叔父から奏法を教わった。また、14歳の頃にはデヴィッド・クリーマー(マイルス・デイヴィスのアルバム『オン・ザ・コーナー』に参加したギタリスト)のレッスンを受けたこともある。17歳の時にシュラプネル・レコーズの社長のマイク・ヴァーニーにデモテープを送る。この時ヴァーニーはそのギターの才能に惚れ込み、同時期に同じレーベルで活動していたマーティ・フリードマンにベッカーを紹介して参加させる。こうして結成されたのがカコフォニーであった。 そしてカコフォニーは1987年にデビューアルバム『スピード・メタル・シンフォニー』でデビューを飾る。アルバムは概ね好評であり、ジェイソン・ベッカーとマーティ・フリードマンのツインギターは話題となった。 1988年にはアルバム『パーペチュアル・バーン』でソロ・デビューし、速弾きブームが過熱していた当時のシーンに一石を投じた。クラシック音楽を基にした音楽性ではあるが、"Air"では対位法を用いるなど、他の速弾きギタリストとは一線を画したプレイを披露している。この時来日公演を果たしている。埼玉県・川口市にあったMONSTER PRODUCTIONSが招聘元で、同社が運営していたライブハウスでの公演である。この模様はテレビ埼玉SSCという番組で放送されている。翌年、再来日しJasonはモンスターに出演しているバンドとのソロ公演も行なっている。ジェフベックのカバーを中心に演奏し、やはりテレビ埼玉で収録・放送されている。この時愛用していたギターはCARVINと言う、アメリカ・サンディエゴにあるギターメーカーであった。ジェイソンやマーティーがきっかけとなり、CARVINの輸入元はモンスタートレーディングとなっていた。 同年、カコフォニーは2ndアルバム『ゴー・オフ』を発表するが、その後バンドは解散。 解散後、元ヴァン・ヘイレンのデイヴィッド・リー・ロスのバンドに参加する事になり、これからの活動が期待された。
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