オーデル〜ナイセ河の攻防
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 17:44 UTC 版)
「ベルリンの戦い」の記事における「オーデル〜ナイセ河の攻防」の解説
詳細は「オーデル・ナイセの戦い」を参照 詳細は「ゼーロウ高地の戦い」を参照 1945年4月16日、赤軍はベルリン占領を目的とするベルリン作戦を発動した。作戦は午前5時、オーダー川からゲオルギー・ジューコフ元帥率いる第1白ロシア方面軍の30分間にわたる猛砲撃で開始、続いてドイツ軍守備兵の目を晦ませるため140のサーチライトを照射し、渡河攻撃が行われた。しかし、この照射はドイツ軍の目を晦ますどころか、逆にドイツ軍砲兵のために赤軍を照らし出す結果となった。又、ヴァイクセル軍集団の司令官ゴットハルト・ハインリツィ上級大将の命令により、前日、第1線陣地から第2線陣地にドイツ軍守備隊は後退していたため、猛砲撃の効果も無かった。このためオーデル河を渡河した赤軍はゼーロウ高地でテオドーア・ブッセ大将率いるドイツ第9軍の頑強な抵抗に遭い、攻撃は頓挫した。一方、イワン・コーネフ元帥率いる第1ウクライナ方面軍も午前6時、ナイセ河から攻撃を開始し、砲撃と煙幕の援護を受け渡河を行った。午前8時35分、133ヶ所の渡河点を確保したコーネフは第3親衛戦車軍(英語版)に命令を送り、南方からベルリンに侵攻する準備を指示した。 4月17日ジューコフはゼーロウ高地のドイツ軍防衛陣地を破り、18日早朝までに同高地を占領し、ミュンヒェベルク(ドイツ語版)へ向け第8親衛軍(英語版)と第1親衛戦車軍(英語版)を進めた。しかし、ドイツ空軍の支援を受けたミュンヒェベルク装甲師団(ドイツ語版)が、これらの赤軍を叩き、大損害を与えた。だが、19日にはドイツ第9軍の戦線は突破され、第101軍団は北へ、第56装甲軍団(英語版)はベルリンに、SS第9装甲軍団とSS第5山岳軍団、フランクフルト・アン・デア・オーダー守備隊はブッセ直接指揮のもと、南へ後退した。
※この「オーデル〜ナイセ河の攻防」の解説は、「ベルリンの戦い」の解説の一部です。
「オーデル〜ナイセ河の攻防」を含む「ベルリンの戦い」の記事については、「ベルリンの戦い」の概要を参照ください。
- オーデル〜ナイセ河の攻防のページへのリンク