オルタナティブ技術運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 06:48 UTC 版)
1970年代、先進国においても工業化の大きな転換点を迎えた。特に公害など環境汚染の問題、天然資源の枯渇の問題であり、その代表的なものがローマクラブが示した『成長の限界』である。このような工業社会への批判からでてきたものが「オルタナティブ技術運動」であった。 1974年、イギリスのデイビッド・ディクソン(David Dickson)が『オルタナティブ・テクノロジー技術変革の政治学』と題した著書を出した。ディクソンは様々な「オルタナティブ技術運動」について、ある共通因子があり、目指すべき技術進歩の方向があると主張した。以下参照。 共通因子というのは、非更新性資源の最小限度の使用、環境へ最小限の干渉、地域または小区域での自給自足、個人の疎外と搾取の解消などである。しかしそれぞれのグループによって、相対的な力点の置き所が異なっており、グループ間の相違点の方がよりきわだっていることもしばしばである。 (中略) 方向の異なったテクノロジーの進歩−−人口や、政治権力への接近可能性や生産手段の所有、政治的・経済的権力などの斬新的分散化(をもたらすような)−−テクノロジーの進歩 — デイビッド・ディクソン 、『オルターナティブ・テクノロジー 技術変革の政治学』
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