オクタウィアヌス、元老院議員に
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「アウグストゥス」の記事における「オクタウィアヌス、元老院議員に」の解説
ガリア・キサルピナの委譲を拒否するデキムス・ブルトゥスはムティナ(現モデナ)でアントニウス軍に包囲された。元老院は争う両者を止めようとするも失敗し、自らの軍を持たない元老院に代わってオクタウィアヌスがこの状況を活用しようとする。この時点でオクタウィアヌスが自ら配下の軍団を持っていることは周知の事実であった。オクタウィアヌスは高貴な血統もないユリウス・カエサルのまがい物だというアントニウスの愚弄に対し、キケロは「これ(オクタウィアヌス)以上に見事な伝統的な孝行の例は、我々の若い頃にだってない」と擁護した。そして紀元前43年1月1日、元老院はオクタウィアヌスを元老院議員に任命、そして指揮権を与えた。この年の執政官であるヒルティウスとパンサとともにアントニウスが行っている包囲攻撃を中止させようと試みるが、両執政官はアントニウスとの戦いで戦死した(ムティナの戦い)。 元老院は台頭するオクタウィアヌスを恐れてデキムス・ブルトゥスに近づき、上記の両執政官が率いた軍団の指揮権を委ねることを決議した。これに反発したオクタウィアヌスは前線から撤退、ポー川流域に留まり、それ以上のアントニウスへの攻撃要請を拒否した。 6月にオクタウィアヌス配下のケントゥリオがローマに赴き、ヒルティウスとパンサが有していたこの年の執政官特権を委託するよう要請、またアントニウスを「国家の敵」として断罪することを破棄するよう要請した。元老院がこれを拒否すると、オクタウィアヌスは8個軍団を率いてローマに進軍する。さしたる抵抗なく8月19日にローマに入城した彼は、親戚であるクィントゥス・ペディウスとともに改めて執政官に選ばれる。一方でアントニウスは、同僚でカエサル支持派でもあったマルクス・アエミリウス・レピドゥスと連合して元老院と対峙した。ここで、内心はカエサルの後継者として帝政(元首政)を目指すオクタウィアヌスは、彼らとの妥協を模索した。
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