エンリケ・J・ソベル時代とは? わかりやすく解説

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エンリケ・J・ソベル時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 02:19 UTC 版)

アヤラ・コーポレーション」の記事における「エンリケ・J・ソベル時代」の解説

1965年にはジョセフ・マクミーキンの跡をエンリケ・J・ソベル英語版)(1927-2004)が継ぎ第8代アヤラ家当主となった1968年にはアヤラ商会からアヤラ・コーポレーション改称し共同経営方式から株式会社移行した株式一部従業員公開し持家制度福利厚生制度充実などもあって従業員士気高揚役立った。ジョセフ・マクミーキンの代にアヤラ家フィリピン最大財閥飛躍遂げたが、エンリケ・J・ソベルの代にはさらに急拡大した1968年アヤラ・コーポレーション総資産1億3,200ペソだったが、1984年には23億3300ペソ(約1.2米ドル)に、総収入は同期間に1,300ペソから8億3,000ペソに、飛躍的に増加している。 1974年には日本三菱グループ三菱商事三菱地所三菱信託三菱銀行)から20%資本参加受け入れ農水産業製造業貿易などへのさらなる事業拡大図った1972年マルコス大統領財閥解体唱えた際、アヤラ家大統領へ協力約束して難を逃れたが、日本超一流財閥提携先選んでいたことも政権からの攻撃回避するのに有利に働いたとされる。しかし、エンリケ・J・ソベル1980年頃からマルコス大統領批判的な姿勢を取るようになったまた、サン・ミゲル経営方針めぐってエンリケ・J・ソベルとアンドレス・ソリアーノ2世対立。これらの理由から1983年にはエンリケ・J・ソベル引退し、ハイメ・ソベル(1934-)がアヤラ家当主となったが、この背後には先代のジョセフ・マックミキンとメルセデス・ソベルの圧力があったとされている。

※この「エンリケ・J・ソベル時代」の解説は、「アヤラ・コーポレーション」の解説の一部です。
「エンリケ・J・ソベル時代」を含む「アヤラ・コーポレーション」の記事については、「アヤラ・コーポレーション」の概要を参照ください。

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