エルガーとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/20 15:58 UTC 版)
「ユリウス・ブーツ」の記事における「エルガーとの関係」の解説
バーミンガムを訪れていたブーツは、1900年10月にエルガーのオラトリオ『ゲロンティアスの夢』の初演に立ち会った。この作品に大きな感銘を受けた彼は、アウグスト・イェーガーの協力を得て歌詞をドイツ語へと翻訳し、1901年12月19日にデュッセルドルフで大陸初演を行った。これを聴きにきていたエルガーはこう記した。「私の作品に込めた意図が完全に表されていた。合唱は非常に良かった。」ブーツは1902年5月19日にもライン音楽祭に合わせてこれを再演している。この時の独唱者にはコントラルトのマリエル・フォスター(英語版)がいた。前回に続き会場に聴きに来ていたエルガーは、聴衆の拍手に応えて20回もステージに上がることになった。この公演の成功によって、ついにエルガーは自分が本当に満足できる作品を書いたのだと確信できたのだった。この時に共同監督だったリヒャルト・シュトラウスは、ブーツが演奏会後の打ち上げでこう言うのを聞いて感銘を受けている。「私はイギリス初の進歩的作曲家であるエルガー氏の、成功と幸福のために飲みたいと思う。」1901年、1902年の公演のチケットはともに完売であった。 その間の1901年2月7日のデュッセルドルフでは、ブーツは「エニグマ変奏曲」のドイツ並びに大陸初演を指揮している。 また、ブーツはエルガーのオラトリオ『使徒たち』のドイツ語訳とドイツ初演、『神の国』のドイツ語訳も担っている。1910年12月にクレーフェルトで自作の『交響曲第1番』を指揮したエルガーは、わざわざデュッセルドルフのブーツを訪ねている。さらに、エルガーはピアノ曲「スキッツェ」をブーツに献呈している。
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