エルガーとの関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 08:59 UTC 版)
「フェリックス・サモンド」の記事における「エルガーとの関わり」の解説
第一次世界大戦の勃発によりサモンドの国際的なキャリア形成は一時的に困難になったものの、戦後は室内楽奏者として名声を獲得していった。この時期の彼は、ウィグモア・ホールで行われたエルガーの弦楽四重奏曲 ホ短調並びにピアノ五重奏曲 イ短調の初演の舞台に上がっている。 サモンドによる四重奏曲の演奏を聴いたエルガーは、クイーンズ・ホールでロンドン交響楽団の演奏により行われるチェロ協奏曲の初演において、ソリストをサモンドに任せることにした。1919年10月26日の初演は悲惨な結末となった。当日の演奏会ではエルガーが自作の協奏曲を指揮する一方、残りのプログラムはロンドン交響楽団の指揮者であったアルバート・コーツが振ることになっていた。自惚れ屋のコーツは、1時間のリハーサル時間があればその45分を奏者への講釈に使うことでよく知られていた。自らのリハーサル時間を1時間も使い込まれたエルガーは、舞台外で自分の順番を待ちながら性に合わず怒りを爆発させた。深刻な準備不足の中行われた演奏は、痛烈な批判にさらされることになる。アーネスト・ニューマンは「オーケストラは惨めな姿を大衆にさらした」と述べた。エルガーは後に、もしサモンドが精力的に準備してきていなかったならば、自分はこの曲を2度と演奏会に出さなかっただろうと述べている。
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