エアコン他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:44 UTC 版)
元朝日新聞記者の志村嘉一郎によると、土光宅には暖房も冷房もなかった。夜回りに行って、本が散らばった書斎に通されても真冬でも暖房がなく、空気が悪いから少し窓を開けて新鮮な空気を入れ換えるかと言って窓を開け、冷たい空気が入ってきて思わず身震いすることになるが、土光にとっては客人に良い空気を吸わせようとする心遣いだったという。経団連会長に就任してから、土光宅を夜回りする新聞記者が増えたため、当時東芝副社長だった岩田弐夫(のちの社長)が「うちはエアコンを売っているのだから、会長の家にうちの製品がないのはおかしい」といって無理に設置した。しかし土光は「冷暖房は、無理に押し付けられたのだ。もっぱら来客用で、一人のときは使わない」と、涼しい顔をして、さらに「暑いからクーラー、寒いからヒーターなんていうのは体に良くない。東芝社長時代だって僕の部屋だけはクーラーのスイッチを入れなかった。暑いときは暑さにまかせて、汗が出ればタオルで拭けばいいのだ。家の中と外とで温度差が大きいと、かえって風邪を引きやすい。その点、わが家は実に健康的で、僕はカゼをほとんど引かない」と強調したという。 自宅には書斎を持ち大量の本が日本語だけではなく英語やドイツ語の本や古い辞書もあり、家で夕食をとるとすぐに書斎にこもって本を読んでいた様子で家では無口だったという。帰宅して食事をとった後は書斎で読書の習慣は終生続き、80歳を過ぎても毎日じっくりと書物と向き合う政財界でも屈指の読書家だったという。 家にはソーラーシステムを設置しようとしたが、当時も家は古く、屋根に置くと、潰れると言われ、わざわざ土台を作って設置した。 自宅には自給自足のための畑も設けていた。
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