ウマ講座のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 06:39 UTC 版)
「うまなりクン」の記事における「ウマ講座のエピソード」の解説
田中の代わりに太田やナレーター、またスタジオの福原やさとうが解説したことがあった。 太田が裏方の本間学Dや佐々木P、5番6番などをパシリに使った回や裏方スタッフらがテントで寝るだけ(太田も寝るオチ)という回もあった。 太田がスタジオの入りを早くし収録時間を早めてMA室(編集室)に強盗まがいに乱入し、無理やりナレーションを入れた事がある(第78回)。ちなみに太田はこの回の前に乱入を仄めかしていた。 5番6番の樋口が出演すると、視聴率が落ちるという定説があった。 相撲を開催した回(第91回)では大田が田中を投げた際にピンマイクが壊れたり、5番6番の猿橋英之(サル)が大田に不条理に殴られたりと異様な回であった。 初期の太田のボケは太田自身が考えていてかなり単純だったが、だんだん作りこんだコント形式になっていったのも特徴。 名馬シリーズでタケシバオーを紹介する回は、太田がゆりかもめの竹芝駅まで行き「タケシバオオタ」というオチをつけた。 フジテレビ以外の番組のパロディも多く、『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』(日本テレビ系列)の「ダーツの旅」(第85回・第94回など)や「夜の県庁所在地」(第86回)、『王様のブランチ』(TBS系列)の「TBS瞬間最高視聴率」(第90回、番組内瞬間最大視聴率)などのパロディが行われていた。 1998年秋頃や毎年年末の放送では昭和九年会(坂上二郎、長門裕之、藤村俊二ら昭和9年生まれのタレントによって作られた会)がネタに使われていた。1999年有馬記念スペシャルの放送(第87回)では同年9月9日に行われた昭和九年会のイベントの模様が流された。 2000年7月15日(第114回)から私の名馬シリーズが始まり視聴者から自分の名馬を募集した。ニューヨークに転勤する福原の名馬シンデレラギャルも紹介された。 2000年夏には爆笑問題の当時レギュラー番組のパロディ(うまなりクン含む)を行なった。 2000年4月1日と最終回には当番組『うまなりクン』が紹介された。 2000年12月23日(第137回)と2002年9月28日の放送では合唱団が出演した。2000年の時にはベートーベンの『第九』を2002年には『蛍の光』と『TOKYOムーランルージュ』(さとうの歌)を歌った。2002年の時にはパックンマックンのマックンも合唱団の一員として出演した。このときマックンは合唱団のリーダーに叱られていた。
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