ウォルター・オマリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 02:29 UTC 版)
「1950年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ウォルター・オマリー」の解説
1943年にブルックリン・ドジャースのオーナーにブランチ・リッキーとジョン・スミスとウォルター・オマリーが就任した。ブランチ・リッキーはセントルイス・カージナルスのGM時代はファーム・システムを作り、ドジャースに来てからはGMを兼任してジャッキー・ロビンソンを入団させ球界の人種の壁を破ったことで当時は辣腕のゼネラルマネージャーとして知られた人物であった。ウォルター・オマリーは1942年にドジャースの法律顧問となり、翌年にドジャースの株を買ってリッキーらと共同オーナーとなり、球団経営に乗り出した。この時オマリーは40歳であった。1948年にフロリダ州ベロビーチに初の本格的なトレーニングキャンプ地として広大なドジャータウンを建設したのはオマリーであった。しかしオマリーとリッキーは折り合いが悪く、リッキーの考え方にはオマリーは与しなかった。そして、もう1人の共同オーナーであったジョン・スミスが死去すると、オマリーは未亡人から株を買い、リッキーよりも球団に影響力を行使できる立場になった。この年に形勢不利とみたリッキーは、ピッツバーグ・パイレーツからGMの打診を受けて、ドジャースの株をオマリーに売り、パイレーツのゼネラルマネージャーに転身した。リッキーはオマリーに追い出されたのである。 ウォルター・オマリーは1903年生まれ、ニューヨーク州ブロンクス出身で、ペンシルベニア大学卒業後に弁護士となりドジャースの法律顧問から共同オーナーとなり、1950年10月に単独オーナーとなってドジャースの経営権を握った。彼もブランチ・リッキーに勝るとも劣らないアイデアマンであり、有能な経営者であった。これより8年後にブルックリンから西海岸のロサンゼルスに本拠地移転を行い、ドジャー・スタジアムを完成させた。また親日家であり、1956年にドジャースが日米野球で訪日して以来日本のプロ野球との関係は深く、1961年には読売ジャイアンツがドジャータウンのベロビーチを訪ねてで春季キャンプを行い、日本で最も有名なメジャーリーグのオーナーでもあった。1970年に息子のピーター・オマリーに経営を譲った。そして1998年にピーターがFOXにドジャースを売却するまで半世紀近くの間、「オマリー家のドジャース」であった。
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