インターフェロンの発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/22 16:37 UTC 版)
小島は長野泰一とともに東京大学伝染病研究所で種痘を不活化したワクチン(天然痘不活性ワクチン)を研究している過程で、本来効果があるべきタンパク質の上澄み液のなかに、タンパク質以上に抗ウイルス効果がありウイルス感染の阻害作用を持つ可溶性因子が存在することを発見する。1954年、同因子についての世界初の報告を、長野との連名で日本ウイルス学会総会で行なう。1955年、学会当日の論旨と討論が、学会誌「VIRUS」に「不活性牛痘ウイルスの発癌阻止作用」という題で掲載される。1957年、イギリスのアイザックスとリンデマン(Jean Lindenmann)がこの因子をインターフェロンと名づける。この医学史上に残る実績から、小島はインターフェロン発見者の一人として世界的に認められており、権威としても名高い。インターフェロンには抗ウイルス作用があり、現在、肝炎や癌の治療に応用されている。
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