インタビューとビデオ視聴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:40 UTC 版)
「TBSビデオ問題」の記事における「インタビューとビデオ視聴」の解説
1989年(平成元年)10月26日、オウム真理教について翌日27日の放送で取り上げることを企画していた『3時にあいましょう』は、26日午前中にオウム真理教批判の急先鋒であった坂本、牧太郎、永岡弘行のインタビューを収録。同日昼、金曜日担当プロデューサー(武市功)率いる取材班(社会情報局)は、オウム真理教富士山道場にて報道局社会部と合同で麻原彰晃(本名・松本智津夫)による「水中クンバカ」の実演を取材。 TBS報道局記者の西野哲史によるインタビュー終了後、『3時にあいましょう』取材班の麻原インタビューが開始するも紛糾、オウム関係者が「そんな取材でどんな放送をするつもりなのか」と迫った。「麻原の実演の様子と被害者の会や坂本弁護士のインタビューを、バランスをとった形で放送する」ことを曜日担当プロデューサーがオウム側に明らかにすると、ビデオの確認を求めたオウム側と押し問答となった。結果として曜日担当プロデューサーがオウム真理教側に事前にビデオを見せることを認め、その場の事態を収拾した。 26日の深夜、オウム真理教の幹部、早川紀代秀、上祐史浩、青山吉伸らがTBSを訪れた。まず曜日担当プロデューサーが応対し、暫くして番組総合プロデューサー(多良寛則)が同席した。ここでオウム「被害者の会」に関係する坂本弁護士らのインタビューが収録されているビデオについて、オウム側が執拗に見たいと要求した。 番組総合プロデューサーは、部下にオウム側がインタビューに応じるならば、坂本弁護士のインタビューを収録した当該ビデオを3人に見せてもいいと交渉。坂本弁護士のインタビューを収録・管理している関連会社の担当ディレクターと当夜に居合わせた編集マンに坂本テープの間詰め編集をするよう指示し、編集後にその坂本弁護士のインタビューテープをオウム側が視聴した。早川はこのときのことをメモにとっている。結局、TBS側スタッフはインタビューを放送しないことを承諾・約束し、オウム側幹部はその場を後にする。 31日に早川、上祐、青山ら3人は、坂本が所属する横浜法律事務所を訪れたが、坂本からは教団を告訴する旨を告げられたため交渉は決裂。4日後の11月4日、坂本弁護士一家殺害事件(当時は「失踪事件」)が発生する。
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