イングランドの継承危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 11:01 UTC 版)
「ヘイスティングズの戦い」の記事における「イングランドの継承危機」の解説
1066年1月5日のエドワード王の死は明確な後継者を残しておらず、数名の競争者がイングランドの王権を主張した。エドワードの直近の後継者はウェセックス伯ハロルド・ゴドウィンソンであり、イングランド貴族階級の最も富裕かつ勢力を備えた人物で、またエドワードの以前の競敵ゴドウィンの息子であった。ハロルドはイングランドの賢人評議会(witenagemot)で王に選出され、ヨーク大司教(英語版)エアルドレッド(英語版)から戴冠されたものの、ノルマン側の宣伝においては、この儀式は非正統的に選出されていたカンタベリー大司教スティガンド(英語版)による執行であるとの主張がなされた。ハロルドはすぐさま、2名の強大な近隣統治者からの異議を受けた。ギヨーム公はエドワード王から王位を約束されており、またハロルドがそれに関して了解を誓っていたと主張した。ノルウェーのハーラル3世(苛烈王)もまた後継を争った。王座に関する彼の主張は、自らの先代であるマグヌス1世(善王)と以前のイングランド王ハーザクヌートの間の合意に基づくもので、それによればいずれかが世継ぎなしで死んだ場合、もう一方はイングランドとノルウェーの双方を受け継ぐというのであった。ギヨームとハーラル3世は直ちに、各自の侵攻に向けて軍勢と船団の編成を開始した。
※この「イングランドの継承危機」の解説は、「ヘイスティングズの戦い」の解説の一部です。
「イングランドの継承危機」を含む「ヘイスティングズの戦い」の記事については、「ヘイスティングズの戦い」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からイングランドの継承危機を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からイングランドの継承危機 を検索
- イングランドの継承危機のページへのリンク