イソ・マールボロとFX3B
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「フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ」の記事における「イソ・マールボロとFX3B」の解説
モチュールとポリトイは1972年シーズンが終わるとスポンサーから手を引いたが、ウィリアムズは1973年シーズン、タバコ大手のマールボロとイタリアのスポーツカーメーカー、イソの支援を取り付けた。ポリトイ・FX3は改良が施され、イソ-マールボロ・FX3Bとなり、2台目のシャシーも製作された。ドライバーは新たにハウデン・ガンレイとナンニ・ギャリが起用された。 開幕戦のアルゼンチンでは予選でギャリが16位、ガンレイは最下位の19位となった。決勝ではギャリのエンジンが1周目にトラブルを生じリタイアとなり、ガンレイはチェッカーを受けたものの勝者から17周遅れで非完走扱いとなった。ブラジルではガンレイが7位、ギャリが9位と2人とも完走した。ギャリはその後スポーツカーのテストで負傷したため第3戦の南アフリカでは地元ドライバーのジャッキー・プレトリウスが代役で出場した。プレトリウスはオーバーヒートのためレース距離の半分でリタイアしたが、ガンレイはトップから6周遅れの10位でフィニッシュした。 FX3Bは新たな可変構造の規制のためにこの時点で時代遅れとなり、新型のイソ-マールボロ・IRが投入された。しかしながら、FX3Bは2つのノンタイトル戦に参加している。一つは1973年のレースオブチャンピオンズで、トニー・トリマーが4位に入り、ガンレイはハンドルに問題が生じリタイアとなっている。もう1つは1973年BRDCインターナショナルトロフィーで、これがFX3Bの最後のレースとなった。ガンレイはこのレースでも油圧低下のためリタイアした。
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