アンネ (企業)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/13 22:28 UTC 版)
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 | ![]() 〒259-11(現在は259-1114) 神奈川県伊勢原市高森1450番地 |
設立 | 1961年 |
業種 | 生理用品 |
主要株主 | ライオン(100%) ユナイテッド製薬(日本)株式会社 |
特記事項:1993年ライオンに吸収合併、合併後はライオン伊勢原工場となる。2002年工場閉鎖。跡地は現在、住宅地となる。 |
アンネ株式会社は、かつて存在していた、ナプキンやタンポンなどの生理用品を製造・販売する会社。1993年(平成5年)に東証1部上場のライオン&ユナイテッド製薬(日本)株式会社と合併した。
概要
社名は『アンネの日記』で月経に関する記述があったことに由来する。日本では平安時代以降、長く穢れとして扱われていた月経を『アンネの日記』では“甘美な秘密”と肯定的に表現しており、これがアンネ社の目指す月経観であるとして、創業者の坂井泰子が「アンネ」を社名として提案した[1]。
1961年「アンネナプキン」発売時のキャッチフレーズは『40年間お待たせしました』[2]である。これは、アメリカでは40年前に既にコーテックスという生理用品が発売され、有経女性の80%が紙綿の生理用品を使っていたことから、「アメリカに遅れること40年」という意味である[3]。その後、このキャッチコピーに対して厚生省から、「まるで40年間ずっとナプキンの研究を行っていたかのような誤解を与える」として、改めるようにとの指導があった。そのため『〈アンネの日〉ときめました!』[4]を新たにキャッチコピーとして採用した[5]。
月経の隠語としての“アンネ”という言葉は、この会社名が語源である[6]。
歴史

- 1961年(昭和36年)
- 1971年(昭和46年) - 大株主だったミツミ電機が、業績悪化のため経営から撤退。保有していたアンネの株式を本州製紙・ライオン歯磨(当時)・ライオン油脂(当時)・東レの4社に分配。
- 1980年(昭和55年) - ライオン & 日本ユナイテッド製薬の子会社となる。
- 1991年(平成3年) - アンネナプキン生産終了。
- 1993年(平成5年) - ライオンへ吸収合併される。
- 2002年(平成14年) - ライオンが生理用品から撤退[12]、エルディタンポンをユニ・チャームへ譲渡[13]。
広告宣伝
(日本において)アンネナプキン以前の生理用品は、宣伝しないか、しても地味な広告を出すにとどまっていたが、アンネは新聞に全ページ広告を出稿するなど、積極的な広告宣伝に努めた[7]。
当初はポスターにモデルの写真を使っていたが、後に全広告媒体を通して大塚清六による若い女性の横顔のイラストに統一している[14]。
1964年(昭和39年)、三木鶏郎の作詞・作曲、ヴォーチェ・アンジェリカの歌によるCMソング「With you」(ウィズ・ユー[15])が使用される。ワルツ調[15]で、かつ英語の歌詞[16](正確には「春夏秋冬」の箇所のみ日本語[17])によるものであった。
脚注
注釈
出典
- ^ 渡 1967, pp. 20–26.
- ^ 『婦人生活』1961年11月号、219頁。NDLJP:2324665/115
- ^ 渡 1967, pp. 148–151.
- ^ 『婦人生活』1962年6月号、137頁。NDLJP:2324672/69
- ^ 渡 1967, pp. 192–197.
- ^ 川瀬良美「人間発達における女性の特質:思春期と月経」『淑徳大学社会学部研究紀要』む 1998-03-15, 32巻, pp.17-32, ISSN 1342-7792, NAID 110004783233。
- ^ a b 「現代女傑伝 坂井泰子さん 生理に二億円を投じた話」『実業の世界』1963年5月号、204-207頁。NDLJP:2273003/154
- ^ 渡 1967, pp. 11–13.
- ^ 渡紀彦「Case4 生理用品「アンネ」の例(アイディアが勝利を収める)」『新製品開発の戦略』同文館出版、1963年、119-125頁。NDLJP:3020663/67
- ^ 渡 1967, p. 175.
- ^ 渡 1967, pp. 181–189.
- ^ “SHIKOKU NEWS 全国ニュース”. 四国新聞社 (2001年12月13日). 2015年6月20日閲覧。
- ^ “社史”. ユニチャームHP. 2015年6月20日閲覧。
- ^ 「タブー視された生理用品広告の壁を破ったアンネの広告 1.交通広告」『月刊屋内外広告』1964年11月号、屋外広告通信社、28頁。NDLJP:1832124/22
- ^ a b 「タブー視された生理用品広告の壁を破ったアンネの広告 2.テレビ広告」『月刊屋内外広告』1964年12月号、28頁。NDLJP:1832125/17
- ^ いいだもも『時代を挑発する』仮面社、1969年、362頁。NDLJP:12244865/186
- ^ 植条則夫『広告コピーの基礎理論』誠文堂新光社、1966年、206頁。NDLJP:2508330/107
参考文献
関連項目
- ライオン
- 月経
- ユニ・チャーム - チャームナップシリーズの一部およびチャームタンポンは同社の事業を引き継いだものとされている。また、ライオン子会社時代に新たに立ち上げた生理用品ブランド「エルディ」はユニ・チャームのブランドとして存続。
- 1961年の日本の女性史
「アンネ (企業)」の例文・使い方・用例・文例
- アンネはナチスに捕まるのを恐れながら暮らした。
- イタリアンネックという襟の形
- ボヘミアンネクタイというネクタイ
- アンネという人
- アンネ・フランクさんのトチノキを保存へ
- 第二次世界大戦中,アンネ・フランクさんはナチスの迫害を逃れるためにオランダ・アムステルダムにある事務所の屋根裏部屋に,家族とともに隠れていた。
- アンネさんは自身の有名な日記の中で何度かこの木について書いていた。
- いずれは「アンネ・フランクの家」の上に崩れ落ちるだろうと考えられている。
- アンネ・フランクの通行証の複製も展示されている。
- アンネの生年月日や彼女の両親と姉の名前が通行証に書かれている。
- 「アンネ・フランクの木」の苗木がエルサレムに植樹される
- 3月26日,アンネ・フランクの日記に書かれていた木の苗木が,イスラエルのエルサレムにあるホロコーストの犠牲者に捧げられた複合記念館に植樹された。
- アンネはオランダのアムステルダムに住んでいた。
- アンネと彼女の家族はユダヤ人だったため,第二次世界大戦中にナチスの迫害から逃れるために身を隠さなければならなかった。
- アンネの友人でホロコーストの生存者であるハンナ・ピックさんはエルサレムにあるその複合記念館での植樹式典に出席した。
- 83歳のピックさんは,アンネを思い出させてくれる木がそこにあることがうれしいと語った。
- 「アンネの日記」の著者であるアンネ・フランクさんは,しばらくの間アウシュヴィッツ第2収容所に収容されていました。
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