アンゴラ内戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:44 UTC 版)
「エグゼクティブ・アウトカムズ」の記事における「アンゴラ内戦」の解説
最初にEO社が参入したのは、アンゴラ内戦である。内戦が一段落した1992年に第二次国際連合アンゴラ検証団監視の下選挙が敢行され、アンゴラ解放人民運動(以下MPLA)が勝利したが、これに対しかつての対立相手であったアンゴラ全面独立民族同盟(以下UNITA)が反発し再び紛争が勃発した。 1991年のソビエト連邦崩壊と1994年の南アフリカのネルソン・マンデラ政権樹立などにより、多くの国が双方への支援を停止した。政府側MPLAは北部の油田、UNITAは南部のダイヤモンド鉱山を戦闘の資金源に求めたことにより、内戦は資源戦争に変化する。そこで、EO社は1993年に政府側MPLAと契約を結び、アンゴラ正規軍の訓練及びUNITAに対する掃討作戦を実行、結果UNITA側に壊滅的被害を与えてUNITAを和平交渉に応じさせることに成功し、1974年以来20年続いた内戦を1年で終結させた。 しかし、この内戦はもともと米ソ代理戦争の性格が強く、EO社の雇い主であるMPLAはソビエト連邦及びキューバと言った共産圏の支援を受けていた。そのため、UNITAを支援していたアメリカ合衆国をはじめとする国連の圧力により、政府側はEO社との契約を打ち切ることとなり、代わって国際連合が国際連合平和維持活動(第三次国際連合アンゴラ検証団)を行うことになった。ところが、平和維持部隊はUNITA側との講和及び武装解除に失敗し、2002年2月22日のUNITA指導者ジョナス・サヴィンビ暗殺を契機とした同年4月4日の停戦合意まで内戦は継続され、アンゴラは長期に亘る泥沼の戦いにさらされることとなった。
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