アルティリエーレ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 02:51 UTC 版)
「カミチア・ネーラ (駆逐艦)」の記事における「アルティリエーレ」の解説
1943年7月30日、イタリアの降伏に続いて、同艦は姉妹艦のパッセロ岬沖海戦での戦果をたたえてアルティリエーレと改名された。 休戦の宣言によって、同艦は残った海軍艦艇(戦艦イタリア、ヴィットリオ・ヴェネト、ローマ、軽巡洋艦ジュゼッペ・ガリバルディ、アッティリオ・レゴロ、ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ、エウジェニオ・ディ・サヴォイア、デュカ・ダオスタ、ライモンド・モンテクッコリ、駆逐艦ヴェリーテ(イタリア語版)、フチリエーレ(イタリア語版)、ミトラリエーレ(イタリア語版)、カラビニエーレ、レジナリオ(イタリア語版)、グレカーレ、オリアーニ(イタリア語版))とともにラ・スペツィアから出航して連合国のマルタへ回航し、9月11日の朝に到着し、マルサックスロック(英語版)に停泊した。9月12日にバレッタで給油し、艦隊の一部(イタリア、ヴィットリオ・ヴェネト、エウジェニオ・ディ・サヴォイア、デュカ・デオスタ、モンテクッコリ、カドルナ(イタリア語版)、ダ・レッコ、ヴェリーテ、グレカーレ)とともにマルタ島を離れ、エジプトのアレクサンドリアを目指し、16日に到着した。 1940年6月から1943年9月まで、カミチア・ネーラは180回の任務を遂行した。連合国との共同作戦中に、兵員と物資の輸送を含む122回の任務を遂行した。
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