アリー・セリンジャー監督時代
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「パイオニアレッドウィングス」の記事における「アリー・セリンジャー監督時代」の解説
2000年は、更なる強化を目指して、椿本、斎藤がダイエー時代に監督を務めていたアリー・セリンジャーを監督に招聘。2001年に多治見麻子、佐々木みき、ダニエル・スコットが加入。チームの大型化を図った。第8回Vリーグ(2001/02シーズン)では3位に入る。2002年には吉原知子が加入し、更に戦力強化を進めた。 2003年、第52回黒鷲旗全日本選手権大会で優勝を果たし、初タイトルを獲得する。そして、2003-04年第10回Vリーグでは、レギュラーラウンドを首位通過、セミファイナルラウンドも3戦全勝で2戦方式の決勝に進出、レギュラーラウンドで2戦2敗と苦戦を強いられた東レアローズ戦に挑むこととなった。初戦ではフルセットの接戦で競り負け、第2試合も第1セットを24-26で落として後がなくなる。しかし、そこから第2セット以降の3セットを連取し勝利。チーム創部25年目にして悲願の初優勝を果たす。 第11回Vリーグ(2004/05シーズン)では、シーズン中に栗原恵がNECレッドロケッツより移籍加入し、注目を集めた(結果的に、移籍規定により出場はできなかった)。前回リーグ同様、レギュラーラウンド首位でセミファイナルラウンド進出を果たし、セミファイナルラウンドも通過して2勝先取方式の決勝進出を果たす。しかし、決勝では1勝2敗でNECに敗れ、連覇を逃す。 2005年、第54回黒鷲旗大会では、移籍加入した栗原がデビュー。注目を浴びる中で2度目の優勝を果たす。第12回Vリーグでもレギュラーラウンドで首位通過を果たし、これで3大会連続でレギュラーラウンド首位通過となる。ページシステムのファイナルラウンドで、初戦でレギュラーラウンド2位の久光製薬スプリングスに敗れるも、3位決定戦で武富士バンブーに勝ち、2勝先取方式の決勝進出。決勝で久光製薬に2勝1敗、2度目の優勝を果たす。当シーズン終了後、4年間チームを支えてきた吉原が現役引退した。
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