アラン・スミシーの終焉とその後
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「アラン・スミシー」の記事における「アラン・スミシーの終焉とその後」の解説
当初は無名の人物だったアラン・スミシーは、様々な映画にクレジットされるようになったが、やがて映画マニアなどの間で「アラン・スミシーは映画にトラブルが起きたときの偽名」ということが次第に知られるようになり、偽名としての意味を失っていった。「アラン・スミシー」はテレビドラマ、ミュージックビデオ、書籍など、映画以外の分野でも、責任者の降板などの際に使われるようになった。 1997年、コメディ映画『アラン・スミシー・フィルム』(An Alan Smithee Film: Burn Hollywood Burn)の中で、アラン・スミシーという名が題材に取り上げられた。さらにこの映画にも編集権をめぐる争いが起きて映画自体がアラン・スミシー名義となり、ラジー賞を獲ったことが面白おかしく報じられた。これらのことで、全米監督協会はこの偽名の使用をやめることになった。 スミシーの使用中止に影響を与えた可能性のあるもうひとつの事件は、『アメリカン・ヒストリーX』公開の際、監督のトニー・ケイがスミシー名義の使用を求めて却下された事件である。スミシー名義使用に当たっての規則には、自分の名義を映画から外す理由を、監督が公に向かって語ることを禁じるというものがある。再編集を巡り主演のエドワード・ノートンらとの間で起きた争いについて、監督のケイはすでにマスコミに語ってしまっていたためにスミシー名義の使用は不可能だったが、ケイはスミシー名義の使用を許可しなかった件で全米監督協会や映画会社を訴えてニュースとなった。 2000年以降、全米監督協会は個々の案件について、毎回異なった偽名を選ぶようになっている。その最初の例は、2000年のSF映画『スーパーノヴァ(英語版)』である。これはウォルター・ヒルが途中まで手掛けたものの降板し、フランシス・フォード・コッポラ、ジャック・ショルダーら後任の監督も相次いで降板したといういわくつきの映画であり、もはや監督が特定できないため、「トーマス・リー」(Thomas Lee)という架空の人物が監督としてクレジットされた。 ただし、カナダなど合衆国国外で製作されたいくつかの映画やドラマなどでは、まだアラン・スミシーという偽名を使っている場合もある。
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