アラブ首長国連邦の独立
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「サウジアラビア=アラブ首長国連邦国境」の記事における「アラブ首長国連邦の独立」の解説
「アラブ首長国連邦の歴史(英語版)」も参照 1971年にアラブ首長国連邦(UAE)が独立宣言した後、サウジアラビアはアブダビ首長国との領土問題を理由にUAEの国家承認を保留し、アブダビを個別の首長国として扱った。1974年、サウジアラビア国王ファイサルはUAE大統領シェイク・ザーイドから、UAEの国家承認を得るためのサウジアラビアの協力を切実に求められ、国境問題をめぐる交渉の開始を要請された。ファイサル国王は、国家の非承認という戦術をアブダビ首長国に対する切り札として利用し、早期に和解をさせた。ファイサル国王は、父のサウードが国王だった時代から外務大臣としてこの問題に関わり、イギリスの高官がアブダビを代表して出席した会議が何度も失敗するのを目の当たりにしてきた。サウジ軍が敗れて強制的に排除されたブライミ紛争の処理は、同国にとっての大きな屈辱であり、復讐するべきであると感じていた。ファイサル国王は、1972年7月にターイフを訪れたUAE代表団に対し、「サウジアラビアはブライミで屈辱を受けたので、自分たちの権利を取り戻さなければならない」と語り、「父や祖父から受け継いだ財産を放棄することはない」と誓った。シェイク・ザーイドは和解に意欲的だったが、サウジアラビアの要求は、アブダビ首長国の広大な土地(いくつかの油田を含む)の併合を主張するという非現実的なものだった。 1974年8月21日、シェイク・ザーイドとファイサル国王の間で、アブダビ首長国とサウジアラビアの間の国境線を画定する合意がなされた。サウジアラビアは直ちにUAEの国家承認を宣言し、大使を派遣し、ドバイの連絡事務所を領事館に昇格させた。これにより、UAEは連合体としての地位を強化し、シェイク・ザーイドはUAE大統領としての地位を固めた。
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