アディクションにおいて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 14:11 UTC 版)
否認の概念は嗜癖(アディクション)の理解において大変重要である。否認は病的防衛機制として、病気利得を得るために(つまり、依存を続ける言い訳として)なされる。 「世の中、面白くないことばかりだ」 (世の中のせいで依存し続ける) 「私はかわいそうな人なの」 (だから依存し続けても仕方ないの) 「人間は誰だって死ぬんだ」(だから依存し続けても同じだ) 「使っていれば落ち着くんだ」(だから依存し続けるメリットがある) 「法律に違反しているわけではない」(だから依存し続けてもよい) 嗜癖における否認の三段階として、以下が挙げられる。 第一の否認:「自分は大丈夫!」 嗜癖であることを認めない。嗜癖であることを認めると嗜癖行為をこれ以上行えなくなってしまうため、その有害性を過小評価・歪曲し、自らの問題性を否認する。 「少し多めに買い物をしても、返せないほどの借金があるわけではない」、「タバコ吸っていても、自分は今まで癌になっていない」、「あいつはウィスキーだけど、俺はビールだからアル中ではない」「マリファナは害が少ないから、やっても大丈夫」など。 第二の否認:「いつでもやめられるから大丈夫!」 嗜癖は認めるが、セルフコントロール不能であることを認めない。 「自分の意思でいつでもやめられるから大丈夫!」。 周囲の者すら「最近はパチンコに行く回数が減ったから大丈夫」などと否認をすることもある。 第三の否認:「やめさえすれば大丈夫!」 嗜癖とセルフコントロール不能ともに認めるが、嗜癖のもとになった問題の存在を認めない。嗜癖によって嗜癖対象以外にも生じてしまった問題を否認する。周囲との人間関係やコミュニケーション、経済問題やその人の内面などに問題があることを否認する。 「酒さえやめれば、元通りいくらでも働ける」、「クスリをやめさえすれば、俺も家族も問題はない」など。また「パチンコさえしなければ、申し分なくいい人なのに」と周囲者が「第三の否認」をすることもある。 「依存症#否認」も参照
※この「アディクションにおいて」の解説は、「否認」の解説の一部です。
「アディクションにおいて」を含む「否認」の記事については、「否認」の概要を参照ください。
- アディクションにおいてのページへのリンク