1906年アテネオリンピックの自転車競技
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1906年アテネオリンピックの自転車競技(1906ねんアテネオリンピックのじてんしゃきょうぎ)は1906年に開催されたアテネオリンピックの自転車競技の結果を一覧に記したものである。この大会からタンデムスプリントが種目に加わった。なお、333mタイムトライアルは1kmタイムトライアルの前身ともいえる種目。イタリアのフランチェスコ・ヴェッリが1000mスプリント、333mタイムトライアル、5000mレースを制して三冠王に輝いた。
この大会はIOCが1950年に未公認扱いとしたことから、現在ではオリンピックの正式開催としては認められていない。一方、この大会のことを「特別大会」という人もいる。
ロードレース
個人ロードレース
順位 | 選手名 | 国名 | 時間 |
---|---|---|---|
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フェルナン・ヴァス | ![]() |
2時間41分28秒0 |
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モーリス・バルドンノー | ![]() |
+0秒4 |
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エドモン・ルゲ | ![]() |
+0秒6 |
トラックレース
スプリント
順位 | 選手名 | 1本目 | 2本目 | 決定戦 | |
---|---|---|---|---|---|
決勝 | ![]() |
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1分42秒2 | ||
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||||
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333mタイムトライアル
順位 | 選手名 | 国名 | 時間 |
---|---|---|---|
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フランチェスコ・ヴェッリ | ![]() |
22秒8 |
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ハーバート・クローザー | ![]() |
23秒2、22秒8 |
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アンリ・メンジョー | ![]() |
23秒2、23秒2 |
※2、3位は23.2秒の同タイムだったため、再度2位決定戦を行った。
5000mレース
順位 | 選手名 | 国名 | 時間 |
---|---|---|---|
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フランチェスコ・ヴェッリ | ![]() |
7分28秒6 |
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ハーバート・クローザー | ![]() |
|
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フェルナン・ヴァス | ![]() |
20kmレース
順位 | 選手名 | 国名 | 時間 |
---|---|---|---|
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ウィリアム・ペット | ![]() |
29分00秒0 |
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モーリス・バルドンノー | ![]() |
29分30秒 |
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フェルナン・ヴァス | ![]() |
29分32秒 |
タンデムスプリント
順位 | 選手名 | 1本目 | 2本目 | 決定戦 | |
---|---|---|---|---|---|
決勝 | ![]() |
![]() アーサー・ルシェン ジョン・マテュース |
2分15秒0 | ||
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![]() ブルーノ・ゲッツェ マックス・ゲッツェ |
||||
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![]() カール・アーノルド オットー・クフェルリンク |
外部リンク
「アテネオリンピック (1906年) における自転車競技」の例文・使い方・用例・文例
- 2004年のアテネオリンピックでは,日本選手の同様の活躍を見ることができるはずだ。
- 野口選手はアテネオリンピックの(出場)資格を確実にした。
- 室伏選手と末続選手もアテネオリンピックの(出場)資格を確実にした。
- 田村選手は,来年のアテネオリンピックで,もう1つの金メダルを獲得したいと思っている。
- 上位3チームである中国,ブラジル,米国のそれぞれがアテネオリンピックへの切符を獲得した。
- 2004年アテネオリンピック女子バレーボール世界最終予選兼アジア地区大陸予選が来年5月に開催される。
- 日本は再度,アテネオリンピックへの切符を得るために争う。
- 高橋選手の成績は,2004年アテネオリンピックへの(出場)資格を彼女に保証するには不十分だった。
- 千春選手:アテネオリンピックの決勝で自分を破った選手に勝って最高の気分でしたね。
- 明治39年(1906年),日本陸軍は国防のために全国地図を作成しようと必死に取り組んでいる。
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