アッシリアのエジプト支配とサイスの王家
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「エジプト第26王朝」の記事における「アッシリアのエジプト支配とサイスの王家」の解説
紀元前7世紀前半には既にオリエント世界最大の勢力となっていたアッシリアは、紀元前671年にエサルハドン王の下でエジプトに侵入した。第25王朝の王タハルカ(英語版)は戦いに敗れ根拠地であるヌビアへと追われアッシリアのエジプト支配が始まった。当時サイスを支配していたネコ1世(ネカウ1世)と、その息子プサメティコス1世(プサムテク1世)はアッシリアによってエジプトの管理を任され、それぞれ「サイスの王」、「アトリビスの王」という地位を承認された。 一方敗れた第25王朝ではタハルカの後継者タヌトアメンが体制を建て直し、紀元前664年に失地回復を目指して北上した。ネコ1世はアッシリアの従属王としてタヌトアメンと戦い、敗れて殺されたと見られる。ヘロドトスの『歴史』が伝えるところによれば、プサメティコス1世もアッシリアへの亡命を余儀なくされたと言う。しかしアッシリア王アッシュールバニパルの再度の遠征で同年中にタヌトアメンが撃破され、第25王朝が終了すると、プサメティコス1世は再び王の地位を保証された。これをもって第26王朝の成立と見なされ、アッシリアの庇護の下でその勢力を確実なものとしていくことになる。
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