アッシリアとバビロニアのラブ・マグ
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「ラブ・マグ」の記事における「アッシリアとバビロニアのラブ・マグ」の解説
現存する文書は、ラブ・マグが最も影響力のある王の臣下の一人とみなされたことを示している。彼は宮廷のエリートに属し、タルタン、ナギル・エカリ、ラブ・シャケ、ラブサリス、アバラクなどの他の高官たちとともに、王と州総督の中間に位置づけられる、高い政治的な地位を占めていた。 また、文書はラブ・マグの職責が軍隊と繋がりがあったことを示唆しているようである。彼を戦車、乗馬、馬と結びつける頻繁な言及から、大きな騎馬隊ないしは戦車隊を指揮できることが示されている。また、時には外国の支配者に対する王の特使として行動したという証拠もある。 文書の中で一度に二回ラブ・マグが記載されていることも有り、これは当時この肩書が複数の人間に与えられていた可能性を示している。シモ・パルポラ(Simo Parpola)はこれについて、アバラクが「王のアバラク」とそれより下位のアバラクがいたのと同じく、この職についても、第一ラブ・マグ(王のラブ・マグ)と複数の下位の役人がいたからだと説明している。この論旨は、ラブマグが州の総督の部下として登場する文書の一つで確認されているようである。
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