アイオルとは? わかりやすく解説

アイオル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/02 12:56 UTC 版)

アイオルとミラベル[1]フランス語: Aiol et Mirabel; オランダ語: Aiol en Mirabel)、または単に『アイオル』は[2]古フランス語武勲詩。おそらく12世紀の成立で、最古の稿本は1280年のものである[3]中期オランダ語、スペイン語、 イタリア語に翻案されている。若き騎士で王甥のアイオルが、不当に追放処分を受けた父親エリー・ド・サン・ジル英語版の汚名をそそぎ領地回復するために出奔する冒険であり、サラセン人であるミラベルを改宗させ妻に娶り、目的を達成する。

この詩の朗読が、 1212年、フィリップ2世の宮廷でひらかれた結婚式で演じられた可能性が示されている。

あらすじ

エリー・ド・サン・ジルと妻アヴィス(Avisse)の追放の地ボルドーおいて[注 1]、アイオルはうまれた。エリーは、異教徒サラセン人に対する武勲の誉高いにも関わらず、佞臣マケール・ド・ローザンヌ英語版[注 2]の讒言によって貶められてルイの寵愛を失い、領地没収を受けた。しかもアイオルは、縁戚上は王の甥[6] 、エリーは王の義理の兄弟なのであった[7]。アイオルは森の中で育てられれ、ごく基礎的な騎士道の修練を積まされたにすぎなかった[8]。アイオルは13歳となり、父親譲りの錆びついた甲冑をまとい、父の駿馬マルシュゲー(Marchegai)にまたがって家を出、ルイ王から父親が失った封土回復と名誉挽回の旅に出た(第 I–VI詩節; 207–206行)。詩では、父から子へ騎士の心得などの講釈が長文で語られ(74–356行)[9]、ついにアイオルは叙任式にて騎士となる(XV詩節; 554行まで)[10][11][5]。アイオルはポワティエに立ち寄るが、古びた甲冑を嘲笑される(第 XXV–詩節; 944行)[12][13]オルレアンでもやはり古鎧を笑いものにされるものの[13][14]、じつは叔母である人物がアイオルの器量をみこみ、娘のリュシアーヌ[仮カナ表記](Lusiane[注 3] )を向かわせてもてなしさせる。リュシアーヌは恋してしまうが、アイオルは使命を継続するため、彼女からのアプローチを拒絶する。あくる日、実はリュシアーヌが従妹であると知らされる(第 XXXIV–LVIII詩節; 1477–2276行)[5][15]

Aiol takes Mirabel with him to France (fol. 133v).

アイオルは出自を伏せたまま、ルイ王の支援を申し出、ある反乱の鎮圧にのぞみ、逆臣のブールジュ伯を捕獲する。皮肉にもこの伯爵は、エリーの放逐を不服とするため蜂起したのであり、じつはアイオルとは親戚であった。そのため、助命嘆願をし、王に受け入れられる(第 LVIX–LXXVI詩節; 2277–3086行)[5][16]

宮廷にサラセン人のトルヌブフ(Tornebeuf)という男が[注 4]パンプローナ王国(スペインにムーア人が建立した王国)のミブリアン[仮カナ表記]王(Mibrien)の使節としてやってきて、イスラム教とキリスト教とでどちらが上か雌雄を決そうという挑戦をつきつけた[17] 。その果たし合いを受けると出願したアイオルは二人の騎士をつけ、パンプローナに向かう。とちゅう、マケール勢の妨害などに遭う[17]。そしてアイオルはたまたまミブリアン王の娘ミラベル姫を拉致してアフリカの王族[注 5]と企む輩から救出するが、この姫にアイオルは一目惚れしてしまい、そのまま駆け落ちて結婚するためオルレアンに向かう。悋気をおこしたリュシアーヌは(5188行)は、アイオルの出自を喋ってしまう。が、自分たちが本いとこフランス語版同士であると思い知らされ恋愛をあきらめる。王は、この頭角をあらわした若い騎士がエリーの息子と知って喜び、アイオルの願いをうけてエリーの封土を復活させる。 ミラベル姫は洗礼を受け(8136行)、アイオルと夫婦となり、その挙式はランス大司教英語版が執り行った(8310行)(第 C–CC詩節; 3977–8317行)[5][20][21]

そして父エリーが回復した領地内のブルゴーニュ[23]地方ラングル[24][注 6]で披露宴の最中(8318, 8336行)、逆臣マケールは三万の軍勢(8335行)が攻め入り、新郎新婦を誘拐して、本拠ローザンヌ(かつては高ブルグント[注 7]、現今はスイス国内)で幽閉した。ミラベルは双子を産むが、マケールは子供らを奪ってローヌ川に投じてしまう[注 8] 。たまたまティエリー・ド・ローザンヌとう貴族が[注 9]夜釣りをしており(9201行)、双子の男子らを救助するが、マケールを警戒し、男子らを連れてヴェネツィアのグラシアン王の元に走り、そこに仕える。洗礼を受た子供らはマネシエとトマ[ス][注 10](9353行)と名付けられる。[注 11] (第 CC–CCL詩節; 8318–9406行)[5][27]

マケールは民の人望を失い、ローザンヌを逃亡するが、アイオルとミラベルを引き連れ、ミラベルの父王に突き出してしまう。キリスト教を棄教するように迫られるが、拒否して投獄される。アイオルは盗賊に奪われ、グラシアン王に売り飛ばされる。グラシアン王は、アイオルに名馬パッサヴァン[仮カナ表記](Passavant 10021, 10051行)[29]、登用されたアイオルはテッサロニキ陥落の活躍をする。グラシアン王が養子とした双子をみて、自分の子供らのことを思い出すが、アイオルは二人が死んだものと信じたままであったが、そこをティエリーの妻が事情を説明し、父と息子らが再開を果たす。ルイ王にも助けられ、アイオルとグラシアン王はミラベルの救出に成功する。敗北したミブリアン王は改宗し、四つ裂きの刑に処される[注 12]。アイオルとミラベルそしてエリーは、ブルゴーニュ領へ帰還。二人の息子はヴェネツィアに帰参する(詩節第 CCL–CClXXXVI; vv. 8318–10983)[5][31]

稿本・版本

インキピット(冒頭部)。ミニアチュール画と『アイオル』と初4行。フランス国立図書館(BnF)蔵、fonds français 25516 写本、第96葉表

古フランス語で書かれた最古写本は、全11,000行ちかく[32][2]、現存最古の写本である[8]韻律構成は、作品に二つの部分があり、前部は十音節英語版(6/4 に分かれる変則格律[8])で後部はアレクサンドラン律である[33]

フランス国立図書館蔵の当該写本(BnF Français 25516)には、『エリー・ド・サン・ジル英語版』の武勲詩も所収されており、本来、マルグリット・ド・フランドル所有の文庫にあった可能性が指摘される。この二作品をあわせて、サン=ジルの小サイクル(シークル)と称す[8]。当本の成立は1275–90年頃で、ピカルディ地方で書かれたものだが、底本におそらく 1170 年頃成立のものが使われていると目される[5]

この二作の詩は、1212年、フィリップ2世の宮廷で開かれたジャンヌ・ド・コンスタンティノープル(ド・フランドル)[注 13]フェランの結婚式の場で吟唱された可能性がある[8]

最初の版本は、ジャック・ノルマン英語版ガストン・レノー英語版共編の1877年版である[34][35]。 次いで『アイオル』と『エリー』の二作を所収した版本がオーストリアの語学者ヴェンデリン・フェルスター英語版の校訂により、1876–1882年に発表された[36]

英訳対訳版は、Malicote と Hartman 共編で 2014年に出されている[37][8][38]。また、アルドワン編本(Jean-Marie Ardouin、2010 論文[39])が、2016年に公開出版されている[40]

他の言語翻案

この作品の人気を物語るのが(オランダ、スペインなど[1])いくつもの言語において翻案されていることである。中期オランダ語では、二種類の翻案が成立し、方言から「フラマン語版アイオル」と「リンブルフ語版アイオル」[注 14]に分けられている。いずれも断片しか現存しない(フラマン語版は約1200詩行が、1350年頃の写本に現存する[41])。

古フランス語の原作により忠実なのがリンブルフ語版で、フラマン語版は、再話[42]であり、フランス語原作より1/3ほどが省略されたとみなされている。戦闘、決闘、封土回復などの部分を大きく削り、かわりに宗教的な要素を加筆したアレンジがくわわっている[5]

イタリア語の翻案は、『アイオルフォ・デル・バルビコーネ(Aiolfo del Barbicone)』(14世紀末頃、アンドレア・ダ・バルベリーノ英語版の作)があり、また、16世紀初頭頃の韻文体の作品も、2度において版本にされている[5][43]

スペインのモンテシーノス物語が、いくつもの面でアイオルに酷似する[5]

批評

作中随所にある多言語の使用が着目されている。ジョーンズ(Catherine M. Jones)は、『アイオルとミラベル』を、他にも多言語をつかった武勲詩(『アリスカン英語版』、『オランジュ陥落英語版』など)と比較し、多言語(14か国語)をあやつるミラベル[44]などは、常套モチーフだとしている。異教徒王女の英才教育の一環で、ミラベル(や『ゴーフロワ英語版』の妻[注 15])などは、やがてキリスト教の騎士に出会うこともあろうときのために、言語を学んでいる[45]

版本

注釈

  1. ^ 西方のアキテーヌは、当時プランタジネット朝英国のアンジュー帝国下であるので、「フランス」国家とは別。詩の中でもアイオルが向かう「フランス」が異国のように区別されている。
  2. ^ "Makaire"等と表記。"Macaire de Losane" と武勲詩『マケール英語版』にみえ、"Makaire" in Aiol;[4] "Makaris" がオランダ学者らの要約の表記[5]
  3. ^ Lucïanne, Lusïane, v. 1989行
  4. ^ このトルヌブフという奇人は、アフリカのヌビア国王が、パンプローナ国王に贈ったという人物で[17]、片目は大きく、もう片目は小っちゃい[18][19]
  5. ^ ゴルアン[仮カナ表記](Gorhan)王。
  6. ^ 詩のなかではラングルはブルゴーニュ領内とされるが、現今の地理だと Langres はグラン・テスト地域圏にありブルゴーニュ地域圏内ではない。
  7. ^ 高ブルグントすなわち「高ブルゴーニュ」("Haut-Bourgogne")である。オルレアンでアイオルを嘲笑したブルゴーニュ出身者もじつはこの高ブルグントの者をさすという[22]
  8. ^ ローヌ川は、ローザンヌを通過しないが、ジュネーヴ湖は一名ローザンヌ湖ともいいい、ローヌ川が注ぐ[25]
  9. ^ "Thierry de Laussaune"。フランス語の要約では"釣り人 (pêcheur)"とするが、ラングロワ事典(Terris, Terri, Tierri)では伯爵とする[26]
  10. ^ Manesier, Tumas
  11. ^ Gratien。Laglois s.v. "Grassien, Grasien 2". 9263行ほか
  12. ^ 逆臣ガヌロン英語版と同じ、裏切り者に典型的な刑罰[8][30]
  13. ^ ボードゥアン1世皇帝(ボードゥアン9世フランドル伯)の娘。
  14. ^ リンブルフ語版は、低地ドイツ語にも数えられる。
  15. ^ パッセローズ・ド・ロッシュブリューヌ[仮カナ表記(Passerose, dame de wikt:Rochebrune)]。

出典

  1. ^ a b 佐藤牧夫中世のフランス、ドイツ、オランダの叙事詩 - 文学に見る中心と辺境」『東北ドイツ文学研究』第39号、1995年12月、6–7頁、doi:10.2307/456517hdl:10097/00133939JSTOR 456517 
  2. ^ a b 齋藤勇 編集主幹 「研究社世界文学辞典」研究社辞書部、1954年、1頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1335504https://books.google.com/books?id=q8qXw1tCD4sC&q=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AB 
  3. ^ Bibliothèque nationale de France, archives et manuscrits, Français 25516 (consult online).
  4. ^ Langlois (1904) Table des noms, s,v, Macaire de Losane (4), p. 411.
  5. ^ a b c d e f g h i j k Finet-Van der Schaaf, B. (2000). “Aiol”. In Kroll, Paul W.; van Melle, Anthony G.. A Dictionary of Medieval Heroes: Characters in Medieval Narrative Traditions and Their Afterlife in Literature, Theatre and the Visual Arts. Translated by Tanis Guest. Boydell & Brewer. pp. 13–14. ISBN 9780851157801. https://books.google.com/books?id=jacBvHiRUWwC&pg=PA13 2015年10月2日閲覧。 
  6. ^ Rosselot, p. 111.
  7. ^ Rosselot, p. 112.
  8. ^ a b c d e f g Jones, Catherine (2014). “Rev. of Malicote and Hartman, 'Aiol': A Chanson de Geste. The Medieval Review 14.12.11. ISSN 1096-746X. https://scholarworks.iu.edu/journals/index.php/tmr/article/view/18755. 
  9. ^ Malicote (2010), p. 13.
  10. ^ Malicote (2010), p. 14.
  11. ^ Normand & Raynaud (1877), pp. iv–v.
  12. ^ Malicote (2010), p. 56.
  13. ^ a b Normand & Raynaud (1877), p. v.
  14. ^ Potter (1917), pp. 126–129.
  15. ^ Normand & Raynaud (1877), pp. v–vi.
  16. ^ Normand & Raynaud (1877), p. vi.
  17. ^ a b c Jubinal (1875), p. 106.
  18. ^ Jubinal, Achille (1965). The Portrait in Twelfth-century French Literature: An Example of the Stylistic Originality of Chrétien de Troyes. Genêve: Librairie Droz. p. 77. https://books.google.com/books?id=a8HK1_x0xmwC&pg=PA77 
  19. ^ Cf. Comfort (1906), pp. 419–420
  20. ^ Normand & Raynaud (1877), pp. vi–vii.
  21. ^ Jubinal (1875), pp. 106–107.
  22. ^ a b Paris, Gaston (1887). Publications de la Société des anciens textes français et provençaux: Aiol - Elie de Saint-Gilles - Daurel et Breton - Raoul de Cambrai. Paris: Imprimerie nationale. p. 13 and n1. https://books.google.com/books?id=OVIv33kH9UEC&pg=PA13 
  23. ^ "Dans la patrimonie d'Élie, réclamé par Aioul, se trouvent des ville de Bourgogne, d'Anjou, de Picardie, de Champagne.. et même d'Italie", note 2.[22]
  24. ^ "Lengres en Bourgoinge", 8183行
  25. ^ Janssens, Jozef D. (2000). “Wereldse literatuur in het dertiende-eeuwse Vlaanderen”. In Byers, Rita. Van vader- naar moedertaal. Latijn, Frans en Nederlands in de dertiende-eeuwse Nederlanden. Handelingen van de Koninklijke Zuid-Nederlandse Maatschappij voor Taal- en Letterkunde en Geschiedenis 53. Brussels: Zuidnederlandse Maatschappij voor Taal-en Letterkunde en Geschiedenis. pp. 133, endnote 43. https://books.google.com/books?id=Fq-T5aS9gyEC&q=%22Makaris+. "Makaris in Lausanne van zijn kasteel naar de Rhône-brug zien trekken om Mirabels tweeling te verdrinken. Dat de Rhône weliswaar in het meer van Genève ( of Lausanne ) uitmondt, maar niet door Lausanne stroomt, doet hier niets ter zake (vv. 680-708)." 
  26. ^ Langlois (1904) Table des noms, s,v, Teri de Lossane (65)
  27. ^ Normand & Raynaud (1877), p. vii.
  28. ^ Bangert, Friedrich (1885). Die Tiere im altfranzösischen Epos. Marburg: N. G. Elwert'sche Verlagsbuchhandlung. p. 42. https://books.google.com/books?id=VCHfVKhLHlcC&pg=PA42 
  29. ^ Foerster ed., Passeauant 9913, Pasauant 9929.[28]
  30. ^ Comfort (1906), p. 352.
  31. ^ Normand & Raynaud (1877), pp. vii–viIi.
  32. ^ Normand & Raynaud (1877)版本では 10983 行、page 321.
  33. ^ Kay, Sarah (2005). “Aiol”. The New Oxford Companion to Literature in French. Oxford. p. 14 
  34. ^ ノルマン;レノー共編の序文 p. I によれば、1877年11月に上梓したとき、ヴェンデリン・フェルスター英語版の版本はまだ準備中であった。
  35. ^ Guidot, Bernard (2005). “La famille de Narbonne dans Elie de Saint-Gilles. In [[  |Busby , Keith ]]; Whalen, Logan E.; Guidot, Bernard. 'De Sens Rassis': Essays in Honor of Rubert T. Pickens. Rodopi. pp. 233–248. ISBN 9789042017559. https://books.google.com/books?id=V2h7TKXMvDUC&pg=PA233 
  36. ^ Foerster (1876–1882).
  37. ^ Malicote & Hartman (2014).
  38. ^ Burgess, Glyn S. (2015). “Rev. of Malicote and Hartman, Aiol, and Newth, Heroines of the French Epic”. Speculum 90 (3): 834–36. doi:10.1017/s0038713415001189. 
  39. ^ Ardouin, Jean-Marie (2010). AIOL : chanson de geste : édition du manuscrit unique BNF fr. 25516 (Ph.D.). Université de Valenciennes et du Hainaut-Cambrésis.
  40. ^ Aiol. Chanson de geste (XIIe-XIIIe siècles) on Open Edition Journals.
  41. ^ a b Malicote (2010), p. 2 citing Baukje Finet-van der Schaaf
  42. ^ remaniement[41]
  43. ^ Foerster (1876–1882), p. x.
  44. ^ Normand & Raynaud (1877). Aiol, chanson de geste, page 158, Line 5420, "Ele sut bien parler de .xiiii. latins".
  45. ^ Jones, Catherine M. (2005). “Polyglots in the Chanson de geste. In [[  |Busby , Keith ]]; Whalen, Logan E.; Guidot, Bernard. 'De Sens Rassis': Essays in Honor of Rubert T. Pickens. Rodopi. pp. 297–308. ISBN 9789042017559. https://books.google.com/books?id=V2h7TKXMvDUC&pg=PA301 

参照文献

関連項目


アイオル

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守り人シリーズ」の記事における「アイオル」の解説

タルシュ帝国太陽宰相で、皇帝オーラハン右腕かつては帝国併合されたコーラナム王国国王側室の子だったが、その優れた才能見出され太陽宰相に就く。就任後帝国の最盛期を築く手腕発揮した前述経歴その人柄から、他の枝国出身官僚からは慕われている。臨終の際の皇帝から、後継者名指し任されるその1ヶ月後、ハザールラウルに自領の統治状況今後の展望記した文書差し出よう言い渡すが、ラウルに「国獲りの功績選定範囲入れず吟味する事は、父の遺志反する」と言われるが、領地皇帝から任され国土だけでなく、国獲りで得た枝国も入る、と説明する。そして、「功績とは、国獲りで得た枝国の数ではなく、その枝国征服した事で領地領民豊かになっているかだ」と国獲りの真の意味を交えながら反論する

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