もの売りの才
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 17:02 UTC 版)
「ウィリアム・C・デュラント」の記事における「もの売りの才」の解説
1878年、伯父叔父から請われ16歳で学校を辞め、クラポ製材所を手伝った。日当75セントだったため夜は近くの店で店員としても働いた。ほどなくクラポ製材所を離れ、特許薬の販売や不動産の営業などを手がけた。タバコの行商では、出張前に出張手当6ドル汽車賃2ドルを要求して雇い主から責められたデュラントだったが、2日で2万2千本のタバコ(葉巻き)を販売し、雇い主を驚かせた。これは若い頃のセールスマンとしての才覚を示したエピソードとして語られている。 1881年、フリントで上水道管理業務を請負っていた会社Flint City Waterworksが年老いた社長の代わりとなる若手を探しデュラントを滞納金徴収係として雇った。デュラントは個別訪問先で水漏れや水のにごりなどの苦情処理でサービス改善をおこない徴収率を高めた。電気とガスの検針および徴収や火災保険の売り込みまでおこなった。会社には多額の借金があったがデュラントは8か月で返済しフリントで若手事業家として認められるようになった。1885年6月17日にクララ・ピット(Clara Pitt)と結婚。2人の間に二男一女を儲けた。1885年、娘マージェリー(Margery)、1890年、息子ラッセル(Russell愛称クリフ)が生まれた。しかしクララとは気が合わなかった。
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