その後のリージェンツ・パーク
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「リージェンツ・パーク」の記事における「その後のリージェンツ・パーク」の解説
開園から22年が経過した1867年の1月15日、リージェンツ・パークで大惨事が起こる。湖でアイススケートを人々が楽しんでいたところ、水面を覆っていた氷が崩壊し、200人もの人が凍てつく湖に落ち、そのうち40名が亡くなった。事故後、湖の水はいったんすべて排出され、湖の深さを4フィート (約1.2メートル)浅くする工事が行われた。 1930年、王立植物協会 (Royal Botanic Society)に貸し出されていた場所にクィーン・メアリー・ガーデンが整備された。この庭園がリージェンツ・パーク初の計画当初から一般向けと設定された施設である。 1982年7月20日、IRA暫定派がリージェンツ・パークの野外音楽堂の下に仕掛けた爆弾が爆発し、ミュージカル『「オリバー!』の曲を演奏中だったイギリス陸軍のRoyal Green Jackets連隊の兵士7名が殺害される事件が起こる(詳しくはハイドパーク・リージェンツパーク爆弾テロ事件)。この事件で亡くなった兵士を悼む追悼碑が公園内に設置されている。 21世紀に入ると、リージェンツ・パークは人々の健康志向に応えるためにスポーツ施設を拡張していく。 2006年7月7日、前年の同日に起きたロンドン同時爆破事件の被害者のための追悼式がリージェンツ・パークでも行われた。追悼式では市民がモザイクタイルで紫色の花びら7つ作り、その後事件で亡くなった人の遺族が黄色のタイルをタイルで出来た花びらの中央に埋め、花を完成させた。
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