こけらずし
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/31 14:52 UTC 版)
こけらずしは寿司の一種。こけら寿司、杮寿司、古くは杮鮓、鱗鮨などとも[1]。
概要
こけら寿司は古い形の寿司であり、ちらし寿司や押し寿司、箱ずしの原型となったほか、西日本各地で郷土料理として残っている[2][3][4]。
歴史
杮寿司の歴史は古く、延元元年(1336年)から応永6年(1399年)にかけての吉田神社の神職の家記に鮒、鰻、鮎などの寿司と共に杮寿司の名が献立として記されている[3]。これが文献においてこけら寿司が登場した一番古いものである[1]。当時のこけらずしは乳酸発酵によるものであり、飯の上に具を貼り付け、重石などで押すことで乳酸発酵を進めた[1]。余談であるが、乳酸発酵させる際に用いた米を捨てる最も古い形のなれずしを「本なれずし」、発酵期間を短くして米も一緒に食べるものを「生成ずし(なまなれずし)」という[5]。
江戸時代に入ると天明5年(1785年)に記された『鯛百珍料理秘密箱序』には新鮮な鯛を使ったこけら寿司が「大坂名物ちくらずし」として取り上げられている[6]ように、関西地方では押しずしの文化が定着していた[7]。このころには重石を載せて乳酸発酵させるすしからすし酢を使ったすしへと変化しており、享和2年(1802年)の『鮓飯秘伝抄』には米の上に具を貼り付け、酢を振りかける調理法が紹介されている[1]。このように味付けと保存のために酢を用いる寿司を「半生成ずし(はんなまなれずし)」という[5]。酢飯が酢飯単体で成立するようになり、押す必要がなくなったことで現在のちらし寿司が派生している[8]。江戸時代後期になると天保年間の『守貞漫稿』に「すしは三都とも押鮓なりしが、江戸はいつ頃よりか箱ずし廃し握りずしのみとなる。箱ずしの廃せしは五、六十年以来なり(後略)」とあるように、江戸においては箱ずしが廃れ、握り寿司が主となっていった[9]。
1892年(明治25年)には大阪で箱寿司と呼ばれる寿司が登場する。これは「たいずし」、「あなごずし」、「こけらずし」を2切れずつ合わせたものを1箱もしくは1枚として提供される寿司であった[10]。この箱寿司の中のこけらずしは白身魚のすり身を入れた厚焼き玉子とえび、きくらげを具材とする[10]。箱ずし自体のこともこけらずしとも呼んだが、1990年代には既に古い言い方となっていた[11]。
現在でも大阪ではこけらずしの流れを汲む箱寿司を提供する店があるほか、各地に郷土料理のように残されている[12]ものの、手間がかかることから提供店や作る家庭は減少傾向にある[13]。しかし、生魚の苦手な訪日外国人向けの新名物としてこけらずしを興した兵庫県の有馬温泉のようにこけらずしを再評価する動きもみられる[12]。有馬温泉のこけらずしについてはこけらずし (有馬温泉)を参照されたい。
各地のこけらずし
本なれずし
こけらずしと呼ばれる寿司のうち本なれずしに分類されるものについて列挙する。
滋賀県長浜市
滋賀県長浜市南浜(旧東浅井郡びわ町)ではマスを使った早ずしをマスズシ、なれずしをこけらずしと呼称する[14][15]。
岐阜県
岐阜県武儀郡および郡上郡ではニシンと大根を使ったなれずしをこけらずしと呼んだ[11]。
押し寿司
この節では型に入れて作る押し寿司のうち、こけらずしと呼ばれるものについて列挙する。
紀伊半島
地域色豊かな押しずしが存在する紀伊半島にはこけらずしと呼ばれる押しずしが点在する。
三重県尾鷲市周辺
三重県には多彩な押しずしが存在し、このうち尾鷲市、北牟婁郡紀北町(旧海山町、紀伊長島町)では地域に伝わる押しずしをこけらずしと呼ぶ[16]。すし飯と具の間に茗荷や芥子菜、野苺、ハラン、レタスなどの葉を挟むところが特徴である[16][17][18]。
和歌山県田辺市
和歌山県田辺市に伝わるこけらずしはシイタケ、人参、ゴボウ、鯖などの具を用いる[19]。前述の尾鷲市のものと同様にすし飯と具の間に葉を挟むが、当地では柏の葉を使用する[19]。
和歌山県和歌山市
和歌山県和歌山市に伝わるこけらずしは酢でしめた魚や小エビ、エソのでんぶや錦糸卵を用いる[2][3][20]。
錦糸卵を使ったものは彩り豊かで華やかな印象の寿司[20]だが、同じ和歌山市でも雑賀崎などの漁村に伝わるこけら寿司は淡路島のものに似ており、エソのでんぶのみを使っている[2]。また、雑賀崎のものは一人用の大きさの型を用いることも特徴である[2]。和歌山市街のこけらずしは戦災で桶が焼けるなどして1980年代には既に作る人が少なくなっていた[5]。
兵庫県淡路島
淡路島のこけらずしは重石を使わず、すぐに型抜きをする押し寿司の一種である[21]。淡路島では農閑期に捕ったベラ、トラハゼ、エソなどの市場価値のない魚を炭火で焼き、軒先で干し魚にして保存食とした。この雑魚の干物を使って作るこけら寿司が淡路島のこけら寿司である[22][21]。祭りや正月の際や客人をもてなす料理としてふるまわれる[22]。
このこけら寿司の特徴として、干し魚をでんぶにしていることが挙げられる[21]。そのため名称の由来も、でんぶが木くずという意味の「こけら」に似ているからこけらずしとなったという説とみじん切りにすることを古くは「こる」と言い、それが転訛して「こけら」になったという説が存在する[21]。
徳島県海部郡海陽町
徳島県海部郡海陽町に伝わるこけらずしは押し寿司の一種であるが、魚介類を一切使わないのが特徴である[4]。ゆず酢で作った酢飯と人参、シイタケ、かんぴょう、こんにゃくなどの具材を木枠の中に詰めて押し抜き、その上に金時豆、ゆずの細切り、人参の葉を飾る[4]。なお、海部郡ではこけらずしとは別に、カマスや小鯵を丸ごと使う「丸ずし(姿ずし)」も存在している[4]。
高知県安芸郡東洋町
高知県安芸郡東洋町に伝わるこけらずし(単に「こけら」とも)は同町の皿鉢料理の定番である[23]。大きいものでは五升(7.5kg)もの米を使用しており[24]、大きなすし箱の中にすし飯と具を交互に入れる[25]。すし飯と具を1セット重ねるごとにゆず酢に焼き魚の身をほぐして味を付けた「ニゴシ酢」をかける[25]。それをすし箱いっぱいになるまで繰り返し、重石を載せて押す[25]。大きいものの場合はしっかり押すために一晩寝かせる[26]。
笹寿司に類するもの
笹寿司も押し寿司の一種であるが、便宜上笹寿司、柿の葉寿司のうち、こけらずしと呼ばれるものを下記に記す。
岡山県真庭市蒜山地域
岡山県真庭市(旧中和村および旧八束村、旧川上村)のこけらずしは熊笹の葉の上に一握りのすし飯と薄く切った魚を乗せ、それを桶に入れて重ね、重石をして一晩寝かせた押し寿司である[27][28][29][30]。中和村では集落によって用いる魚が異なり、下和と初和では鯖を、別所、吉田、真加子ではシイラを用いて作られる[28][31]。
県境をまたいだ鳥取県関金町や智頭町では柿の葉を用いる同様の寿司が柿の葉寿司と呼ばれる[32]。関金、智頭の柿の葉寿司は柿の葉寿司#鳥取県智頭地方を参照されたい。
福井県勝山市
福井県勝山市遅羽町中島などでは塩鱒を使った同様の寿司をこけらずしと呼ぶ。当地のものはご飯にしょうがのみじん切りを混ぜ、桑や笹、アカメの葉などで包み、重石を乗せる[33]。
和歌山県伊都郡九度山町
和歌山県伊都郡九度山町下古沢では柿の葉寿司をこけらずしと呼んだ[34]。
脚注
- ^ a b c d 『すし』1982年。doi:10.11501/12100991 。2025年7月28日閲覧。
- ^ a b c d “ふるさとの味:JR西日本”. www.westjr.co.jp. 2025年7月29日閲覧。
- ^ a b c d 『すしの本』1970年。doi:10.11501/12106640 。2025年7月28日閲覧。
- ^ a b c d e 『とくしま味の四季』1983年。doi:10.11501/12101541 。2025年7月28日閲覧。
- ^ a b c 小菅,富美子「和歌山県下のなれずし」『調理科学』17(3),調理科学研究会. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/10812250 (参照 2025-07-29)
- ^ 『日本料理秘伝集成 : 原典現代語訳 第10巻』1985年。doi:10.11501/12107829 。2025年7月28日閲覧。
- ^ “「こけら寿司」有馬温泉の新名物に 老舗旅館の板前らが復活” (Japanese). 神戸新聞NEXT (2020年1月8日). 2025年7月28日閲覧。
- ^ 『寿司屋さんが書いた寿司の本』1988年。doi:10.11501/13130277 。2025年7月29日閲覧。
- ^ 『寿し物語』1972年。doi:10.11501/12100369 。2025年7月28日閲覧。
- ^ a b 『日本の名品郷土料理 東海・近畿編』1985年3月。doi:10.11501/13164721 。2025年7月29日閲覧。
- ^ a b 『ぎふのすし』1993年。doi:10.11501/13298872 。2025年7月29日閲覧。
- ^ a b “忘れ去られていたこけら寿司が有馬温泉で復活した。江戸時代の隆盛を再びと、令和版こけら寿司に温泉街と料理人がチャレンジ « 湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい”. 忘れ去られていたこけら寿司が有馬温泉で復活した。江戸時代の隆盛を再びと、令和版こけら寿司に温泉街と料理人がチャレンジ « 湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい. 2025年7月28日閲覧。
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- ^ “新日本すし紀行【すしコラム】尾鷲市のこけらずし (三重県) | すしラボ(SUSHI LABORATORY)│ ミツカン”. ミツカン. 2025年7月30日閲覧。
- ^ 堀田,千津子 ほか「海山町の郷土料理」『日本調理科学会誌』33(4),日本調理科学会. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/10814239 (参照 2025-07-30)
- ^ a b 『特選おすし113 : 家庭の味』1992年。doi:10.11501/13297478 。2025年7月30日閲覧。
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- ^ 『岡山県の食習俗 : 岡山県における食習俗調査報告書』1961年。doi:10.11501/9544194 。2025年7月30日閲覧。
- ^ 『国立歴史民俗博物館博物館資料調査報告書 2 (民俗資料編 2集)』1990年。doi:10.11501/13271459 。2025年7月29日閲覧。
- ^ 『世界の食べもの 92』1982年。doi:10.11501/12108415 。2025年7月30日閲覧。
- ^ 『福井県勝山市の生活語彙』1974年。doi:10.11501/12449222 。2025年7月30日閲覧。
- ^ 『上村六郎染色著作集 4』1980年。doi:10.11501/12709323 。2025年7月30日閲覧。
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