けんどん箱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 05:00 UTC 版)
出前用の岡持ちのうち、戸が溝にはめ込まれている種類のものを「けんどん箱」(漢字では慳貪箱・倹飩箱などの表記がある)ともいう。家具・建具の「けんどん」は、「けんどん箱」の戸の構造から転じたとされるが、以下のように異説もある。 江戸時代後期の文政7年(1824年)、山崎美成・曲亭馬琴らが関わっていた好事家の集まり「耽奇会」に「大名けんどん」(装飾を施した豪華なけんどん箱)という道具が出品された。この「けんどん(箱)」の名称の由来をめぐって美成と馬琴が論争し(つまり、この時点では「けんどん」の由来が不明になっていた)、激しい応酬の末に2人は絶交するに至った。この論争は「けんどん争い」として知られる。 美成は、かつて「けんどん屋」と呼ばれる接客の簡易な(「つっけんどん」な)形態の外食店が存在し(論争時点では名称が廃れていた)、そこから盛り切り蕎麦を「けんどんそば」と呼ぶようになり、「けんどんそば」を運搬する箱を「けんどん箱」と呼ぶようになったと主張した。この説が「けんどん箱」「けんどんそば」「けんどん屋」について現代では優勢な説明である。一方馬琴は、箱のほうを「けんどん」と称したのが先であると主張した。「けんどん争い」と呼ばれるこの論争は、「蕎麦食の歴史」や「出前の発祥」、「けんどん屋の業態」や「どんぶり鉢の名称の起源」(けんどん屋で使う器を呼ぶ「けんどん振り(鉢)」が転じて「どんぶり(鉢)」になったという説がある)などとも関連することから、江戸時代の食文化に関する貴重な記録となっている。
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