かなかんぶつの製作と起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 08:14 UTC 版)
「かなかんぶつ」の記事における「かなかんぶつの製作と起源」の解説
「かなかんぶつ」の製作方法について、山梨県立図書館の記録映像によれば、彫刻を施した木型に油を塗り張子紙を貼り付け、乾燥させた後に木型から剥がして整形し、顔を描いて彩色して仕上げる。張子面に用いられる造形は武田菱を付けた武田信玄が一般的であるが、その他に武田家の武将などの戦国武将をはじめ、源義家、源頼朝、源義経ら源氏の武将、『三国志』に登場する武将、桃太郎や天狗など伝説上のものなど様々なものが表現され、郷土史家の上野晴朗は22種を挙げている。また、上野の調査によれば、「かなかんぶつ」は露天や行商により販売され、西郡地域や河内地方では広く流通し郡内地方には及ばなかったと言われ、西郡や河内では現物資料や節供贈答の伝承が残されている。 「かなかんぶつ」の史料上の初見は江戸時代の『裏見寒話』で、「かなかんぶつ」について図解で紹介されており、江戸後期に出版された甲府城下町の商工名鑑である『甲府買物独案内』には地細工物を扱う4軒の雛問屋の存在が記されており、甲府城下での製造販売が行われていたと考えられている。また、文化6年(1809年)と嘉永5年(1852年)には「かなかんぶつ」の製造販売を巡り他国問屋との訴訟も発生している。
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