かなかんぶつの民俗学的背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 08:14 UTC 版)
「かなかんぶつ」の記事における「かなかんぶつの民俗学的背景」の解説
かなかんぶつは古くは人目に付く野外に飾る「外飾り」の人形であったとされ、神を宿らせる招代(おぎしろ)・依り代の意味があると考えられている。 日本では中国の影響を受けて宮中において五節句が成立し、江戸時代には幕府により式日として定められ、武家社会においても定着した。五節句は庶民の間にも浸透し、土地の風習と習合し一年を通じて様々な節句風習が根付いている。 五節句のうち端午の節句は5月5日に行われ、菖蒲(しょうぶ)の節句・男児の節句とされている。本来は菖蒲や蓬(よもぎ)を門戸に挿し、菖蒲酒を飲み邪気を払う意味であったが、日本では田植えの時期にあたるため田の神に対する奉仕や祓い、忌み籠もりの意味が加わり、忌み籠もりの家を指す標識として幟(のぼり)や人形が依り代として用いられるようになった。 武家社会では「菖蒲」を「尚武(しょうぶ)」と解釈し、本来は邪気払いのため頭に巻いた菖蒲が兜飾りに変化し、鎧兜や武者人形、鯉のぼり、武者絵の描かれた幟などを屋敷の内に飾る今日の形態に変化したと考えられている。 かなかんぶつはこうした節句人形の外飾りから内飾りの変化のなかで、武者絵を取り入れつつも外飾りの形式を保ち、江戸時代に庶民の間で飾り兜に金具の使用が禁じられたため、張り子の面を用いて成立したものであると考えられている。
※この「かなかんぶつの民俗学的背景」の解説は、「かなかんぶつ」の解説の一部です。
「かなかんぶつの民俗学的背景」を含む「かなかんぶつ」の記事については、「かなかんぶつ」の概要を参照ください。
- かなかんぶつの民俗学的背景のページへのリンク