かつて行われていた主な大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 16:18 UTC 版)
「ソフトテニス」の記事における「かつて行われていた主な大会」の解説
東アジア競技大会 1993年上海大会では公開競技、1997年釜山大会、2001年大阪大会、2005年マカオ大会では正式種目、2009年香港大会では正式種目から外れた。2013年天津大会では正式種目として復帰。同大会はその2013年天津大会をもって終了、東アジアユースゲームズとして再スタートすることになった。 亜細亜軟式庭球選手権大会 1955年から1973年までほぼ隔年毎に9回開催された日本、韓国、中華民国(台灣)による3か国対抗。国際ソフトテニス連盟の設立にあわせて発展的に解消された。 アジア学生選手権 1982年から1997年まで隔年毎に3回開催された中華民国(台灣)韓国、日本。による3か国対抗による学生大会。プロケネックス社のスポンサードを得て台灣主導で起ち上がった。 日本リーグ 1975年ナショナルチーム発足とともに立ち上がった大会。ナショナルチームによる個人戦、4組づつに分かれ、総当たりのリーグ戦、上位2チーム計4組による決勝大会、と年3回開催された(後に1回)。団体戦の日本リーグ創設にともないジャパンカップと改名。
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