浅井道博(あさいみちひろ ?-1885)
浅井道博は、元治元年(1864)より幕府開成所取締役、慶応3年(1867)砲兵差図役となる。
明治維新後、沼津兵学校で二等教授方となり、測量や数学を教えた。その沼津兵学校は、日本の近代化に貢献した人材を多く輩出したことが知られるとともに、地図測量技術者で特に顕著である。それは、同兵学校における地図測量教育に、特出すべき何かがあったと思われるが、詳細は明らかではない。
浅井は、明治4年の同兵学校の政府移管により陸軍少佐兼兵学権助となり、上京後の明治6年時点では陸軍兵学寮の兵学頭(大佐)をつとめた。明治14年から同18年までは参謀本部副官、16年2月からは海防局長、のちに陸軍歩兵大佐となる。
その浅井は幕臣荒井清兵衛の娘を夫人としていることから、初代中央気象台長となる荒井郁之助や幕末から明治時代にかけて活躍した外交官である田辺太一とは義兄弟にあたる。

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