『12メモリーズ』〜『シングルス』
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「トラヴィス (バンド)」の記事における「『12メモリーズ』〜『シングルス』」の解説
そんな状況も束の間の半年後、ニールがフランスにおいて頭部に重傷を負う事故に遭ってしまう。ドラマーとしてこの怪我は深刻であり、ミュージシャン生命も危ぶまれる事態となった。デビュー以来不動のメンバーで苦楽を共にしてきたためドラマー交代などは考えられず、バンドは突然の活動休止を余儀なくされた。メディアではそのまま解散もありうるとの観測が流れ、バンドは絶頂から一転して解散の危機に見舞われてしまった。 しかし事故から1年、ニールは見事な回復をみせて復帰を果たし、同時にバンドも解散の危機を乗り越え再始動。中小規模のライブ活動を行いながらセルフ・プロデュースのアルバム制作を進めた。 サマーソニック出演で3度目の来日を済ませた後の2003年10月、4枚目のアルバム『12メモリーズ』を発表。先行シングルの「リ・オフェンダー」や「ビューティフル・オキュペイション」などでストリングスやピアノを大幅に導入したり、歌詞に社会色・政治色を強く打ち出すなど所々に新たな試みが見受けられるが、全編が暗く陰鬱なトーンで覆われた仕上がりだったためか、全英チャートで3位に入ったもののセールス的には伸び悩んだ(さらにフランが体調を崩したことで来日公演も中止となるなど、バンドにとっては大きな試練の時期であった)。後にフランは「ダークでエッジーな社会性の濃い作品は、僕らには不得手だと痛感したよ。12メモリーズは好きだし否定するつもりもないけど、こういうのはレディオヘッドに任せるべきだったんだよね?」と冗談まじりに語っている。 翌2004年にこれまでの歩みを総括したベスト盤『シングルス』を発売し、キャリアに一区切りをつけた。
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