『ミステリマガジン』
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「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の記事における「『ミステリマガジン』」の解説
1966年1月号から『ハヤカワ・ミステリマガジン』に改名。1977年に本国版『EQMM』との特約関係が解消されたが(『EQMM』との特約契約は光文社に移った)、以降も海外作品を中心とした誌面作りを続けており、2006年には創刊50周年を迎えた。英題はHAYAKAWA'S MYSTERY MAGAZINE。 なお、1969年に常盤新平が退社し、1969年8月号から編集長は太田博(各務三郎)に。太田は1973年4月号にバロネス・オルツィの短編を誤って「半分だけ掲載」してしまい、その責任をとって退社。その後は、1973年7月号から長島良三が編集長に。だが長島もすぐに退社したため、それまでポケミスを担当していた菅野圀彦が、1975年から1993年までの20年近くにわたって編集長を務める。 その後の編集長は、「歌って踊れる編集長」として名物だった竹内祐一が1996年までつとめたが、書籍編集部に移った。その後は、村上和久が1998年まで、その後千田宏之が2001年まで、2002年からは今井進が、2007年4月号からは千田宏之が再度編集長に。2009年4月号からは小塚麻衣子が、初の女性編集長に。2013年10月号から清水直樹(前『S-Fマガジン』編集長)が編集長。 2015年5月号(3月発売)以降は隔月刊化され、奇数月25日の発売となる。
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