『ベラ』- グルジア軍道
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「現代の英雄」の記事における「『ベラ』- グルジア軍道」の解説
『ベラ』では、「私」とマクシム・マクシームィチの山越えの場面と、M.M.のベラに関する昔語りとが交互に登場するが、時々挟まれる「今」の描写は、時としてベラの物語すら圧倒する。深い峡谷と天を突く銀嶺、夜と朝の天界と地上界の変化などの荘厳な描写は、同時に、視覚・聴覚・皮膚感覚・平衡感覚などを総動員した正確無比な描写でもあり、読者は、あたかも自分がその場に居合わせて山の冷気を浴びているような体感を再現させられる。 物語は「私」が「チフリス(現トビリシ)から」駅馬車を乗り継いでの旅上、と始まるので、引き続き登場する地名から、グルジア軍道(チフリス - ウラジカフカースを結ぶ)を北上する旅と分かる。 作品中に登場する(南から順に)十字架峠(ロシア語版)(=クレストーヴィ峠、作中では「クレストーヴァヤ山」、標高2,379m)・コビ(標高1,970m)は、左の地図のグダウリ(ロシア語版、英語版)(グダウル、標高2,196m)とカズベギ(ロシア語版、英語版)(標高1,750m)との間に位置する。また作品中のコイシャウールとは、左の地図上のパサナウリ(ロシア語版、英語版)(パサナウル、標高1,050m)のことである。十字架峠は、グルジア軍道で最も標高の高い地点で、この峠越えは最大の難所である。 ロシアは、1801年の東グルジア併合直後にこの軍道の建設を始め、1814年には一応の完成を見たが、カズベク山頂(標高5,047m)の氷河に起因する雪崩・山崩れが頻発し、特に1832年の山崩れは、テレク渓谷を深さ100m、長さ3kmにも渡って埋め尽くすほどであった。道路の完全な整備は19世紀後半のことである。
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