『ベラ』- グルジア軍道とは? わかりやすく解説

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『ベラ』- グルジア軍道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 03:06 UTC 版)

現代の英雄」の記事における「『ベラ』- グルジア軍道」の解説

ベラ』では、「私」マクシム・マクシームィチ山越え場面と、M.M.のベラに関する昔語りとが交互に登場するが、時々挟まれる「今」の描写は、時としてベラ物語すら圧倒する。深い峡谷と天を突く銀嶺、夜と朝の天界地上界変化などの荘厳な描写は、同時に視覚聴覚皮膚感覚平衡感覚などを総動員し正確無比描写でもあり、読者は、あたかも自分その場居合わせて山の冷気浴びているような体感再現させられる物語「私」が「チフリス(現トビリシ)から」駅馬車乗り継いでの旅上、と始まるので、引き続き登場する地名から、グルジア軍道チフリス - ウラジカフカースを結ぶ)を北上する旅と分かる作品中登場する(南から順に)十字架峠ロシア語版)(=クレストーヴィ峠、作中では「クレストーヴァヤ山」、標高2,379m)・コビ標高1,970m)は、左の地図のグダウリロシア語版英語版)(グダウル、標高2,196m)とカズベギ(ロシア語版英語版)(標高1,750m)との間に位置する。また作品中のコイシャウールとは、左の地上のパサナウリ(ロシア語版英語版)(パサナウル、標高1,050m)のことである。十字架峠は、グルジア軍道で最も標高の高い地点で、この峠越え最大難所である。 ロシアは、1801年東グルジア併合直後にこの軍道建設始め1814年には一応の完成見たが、カズベク山頂(標高5,047m)の氷河起因する雪崩山崩れ頻発し、特に1832年山崩れは、テレク渓谷深さ100m長さ3kmにも渡って埋め尽くすほどであった道路の完全な整備19世紀後半のことである。

※この「『ベラ』- グルジア軍道」の解説は、「現代の英雄」の解説の一部です。
「『ベラ』- グルジア軍道」を含む「現代の英雄」の記事については、「現代の英雄」の概要を参照ください。

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