『すがも新聞』
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1948年(昭和23年)6月5日に創刊された獄中紙。巣鴨プリズンの労務担当だったビンセント中尉が新聞の発行を提案し、各階で1人ずつ選ばれ、15人が担当することになった。当時のスガモには、英語を始めとする外国語の堪能な人物が多かったことから、新聞は随時翻訳された。 編集方針は「主義主張は特に無いが、民主主義を根本とし、左右いずれにも偏せず」とあり、連合国の占領政策批判や死刑囚、A級戦犯には抵触しないという条件だった。1952年(昭和27年)3月29日までに全193号が発刊され、その紙面は翻訳班の手で英訳した上で、発行前に検閲を受け、GHQやアメリカ国務省にも送付された。発行日は原則として土曜日だった。また、秋季運動会にて韓国旗などを揚げたことをクローズアップするなどして、朝鮮戦争で心を痛める朝鮮人や台湾人戦犯の葛藤を分かち合えた場ともいえる。 巣鴨プリズンが日本へ移管された後には、『すがも』が1952年(昭和27年)11月1日に活版で創刊されたが、10号で休刊となった。
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